回国塔は巡礼者が諸国をめぐる際、奉仕作業として建てたもの。「右みはら・左おのみち」「文化13年」(1816)と彫られている。
「今高野山」の総門として室町時代に建立された。屋根や仁王像の囲い等は後世の補修だが、建立当初の姿を今もとどめている。
世羅郡の総社と言われ、銀の道に面している。鎌倉時代の文書に「世良彦社」という記述があり、古くから鎮座していた。
宇津戸には、かつての宿場町らしい景観が残り、観音寺の前に石州街道を示す道標が残っている。
1309年、荘園が領家分と地頭分と分けられた。その境となった所に「姥石」と呼ばれる境界石が残っている。
耕地整理による移転があったと思われる所に、辻堂と常夜灯が建って居る。かつては、この辺りに街道が通っていたと思われる。
今でも道行く人の休憩場所として、充分使えそうな立派な辻堂。屋根の中心に仏式霊廟の宝珠露盤のような装飾がほどこされている。
「金常夜灯」と刻銘されている。旧石見街道に面していたが、昭和初期の道路変更と共に現在の場所に移転された。