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観光スポット情報
富田城跡(トダジョウアト)
00001b1a  富田川(飯梨川)の東岸、月山の山上にある富田城跡は、山陰山陽に覇をなした尼子氏の居城として、また、戦前の教科書に登場した艱難辛苦に耐える悲運の武将、山中鹿介の出た城として知られている。
 富田城を築いたのは保元・平治のころ(1156〜1159)、平家の大将悪七兵衛平景清であると伝えらが、そのほかに、佐々木高綱とか同義清などの諸説があり、いずれも明らかではない。しかし、築城は長寛から文治年間(1163〜1189)のころと推定されている。
 鎌倉幕府の成立によって、出雲守護に補任された佐々木義清が富田城に入ってから、鎌倉時代後半に守護が塩冶大廻(えんやおおさこ)城(出雲市)に移ったことはあったが、南北朝時代には山名氏、室町時代には京極氏と、歴代の守護の居城となった。富田城が最も華やかに歴史の舞台に現われたのは、京極氏の守護代であった尼子氏、中でも尼子経久の時代である。
 経久は、下剋上の戦国期に守護代の地位から、守護京極政経に抗して戦国大名として独立した。経久は政経に対立したとして富田城を追われるが、文明18年(1486)に劇的な富田城奪回に成功し、その後、出雲諸城をおさえ、天文10年(1541)、84歳で没するまでに山陰・山陽まで領して、もっとも繁栄した。経久の跡を継いだ晴久の代には、安芸の毛利氏を攻めたが敗北し、さらに義久の代になって毛利元就に侵攻され、永禄9年(1566)富田城は開城した。関ケ原合戦ののちは、堀尾吉晴が入城した。吉晴は、鎌倉時代から続いた出雲の中心地富田を離れて、慶長16年(1611)に松江に移城したため、富田城は廃城となった。近年、富田城跡の発掘調査が行われており、富田城解明に新たな光がなげられつつある。
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住所 島根県安来市広瀬町
交通手段 JR山陰本線荒島駅からイエローバス(広瀬行き)20分、広瀬病院前下車、山麓まで徒歩5分

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