国譲り


天の高い所に住むアマテラスという太陽の神さまは、オオクニヌシが作り上げた大地を見下ろして言いました。「あの豊かな実りのある葦原中国は、わたしの子孫が治める国です。」そう言って、オオクニヌシの元へ天の神さまたちを遣わしました。しかし、何年たっても、誰を遣わしてもうまくゆきません。そこで天の神さまたちは相談して、タケミカヅチという剣の神さまを遣わすことにしました。

伊耶佐(稲佐)の小浜に降り立ったタケミカヅチは、剣を逆さまに刺して、その剣の先に座り、オオクニヌシに国を譲るようにいいました。オオクヌニヌシの二人の息子が国譲りを受け入れると、タケミカヅチは、ついにオオクニヌシに、その答えを聞きました。オオクニヌシは「千木が高天原まで届くような高い建物を建てて、お祭りくださるなら、曲がりくねった曲がり道の先に隠れておりましょう」と言いました。タケミカヅチは、高天原に帰ると、葦原中国を平定したことを伝えました。

「国譲り」ゆかりの舞台


1. 稲佐の浜

『古事記』では、タケミカヅチとアメノトリフネが「伊耶佐の小浜」に降り立った、と記されています。この「伊耶佐の小浜」は、『日本書紀』では「五十狭狭の小汀」「五十田狭狭の小汀」とも表記され、現在の「稲佐の浜」だと考えられています。この稲佐の浜は、現在、神が降り立つ神聖な浜として信仰され、11月には「神迎え神事」などの神事が行われます。

島根県出雲市大社町杵築北2844-73

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2. 因佐神社

稲佐の浜の北側にある神社で、『出雲国風土記』に「伊奈佐乃社」、『延喜式』神名帳に「因佐神社」とある神社が、現在の因佐神社だと考えられます。「勝負の神様」として信仰されています。

住所: 島根県出雲市大社町杵築北

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3. 美保関

『古事記』の「国譲り」で高天原から「伊耶佐の小浜」に降り立ったタケミカヅチが、オオクニヌシに「この葦原中国は、アマテラスの御子の治める国である。お前の心を聞かせて欲しい」というアマテラスの言葉を伝えると、オオクニヌシは「私はお答えできません。代わりに私の子であるコトシロヌシがお答えしましょう。」と答えました。その時、コトシロヌシは「御大ノ前(みほのさき)」に出かけて漁の最中でした。その「御大ノ前」が現在の美保関だと考えられています。

住所:島根県松江市美保関町美保関555

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4. 美保神社

美保湾に面した西側の高台に鎮座する美保神社は、『出雲国風土記』島根郡条にみえる「美保社」と考えられており、事代主神とその母神である三穂津姫命の二神を祀っています。事代主神は「恵比須さん」として親しまれており、漁業の神・航海安全の神として信仰を集めています。なかでも「恵比須さんは鳴物が好きだ」という言い伝えから、航海の安全を祈り、笛や鼓などが奉納されました。松江松平藩の初代藩主・直政が寄進した江戸時代の大鼓をはじめ、三味線やオルゴールなども奉納されています。
『古事記』では、コトシロヌシが漁をする様子は「「鳥の遊・取魚の為に御大之前に往きて」と描かれていますが、『日本書紀』本文では「釣魚をするを以て楽とす、或いは曰く、鳥遊するを楽とす」と描かれていますが、神事では、この「国譲り」のコトシロヌシの話にちなんで4月に行われる「青柴垣(あおふしがき)神事」と12月に行われる「諸手船(もろたぶね)神事」が有名です。「青柴垣神事」は『古事記』の「国譲りを同意したコトシロヌシが乗っていた船を青柴垣に変えた」という神話にちなむ神事、「諸手船神事」は『日本書紀』本文の「諸手船に使者を乗せてコトシロヌシの元に遣わせた」という神話にちなむ神事です。

住所:島根県松江市美保関町美保関608

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5. 出雲大社

島根半島の西端の八雲山の麓に鎮座する出雲大社は、大国主命を主祭神としています。
『古事記』では、高天原の使者と問いに対して、オオクニヌシが「国譲り」を同意する際に「千木が高天原まで届くような高い御殿を建ててほしい」と言ったのが、出雲大社の創建の神話だと考えられています。また出雲大社は『出雲国風土記』出雲郡条にみえる「杵築大社」と考えられますが、出雲郡杵築郷条には「ヤツカミズオミヅヌが国引きをした後、オオクニヌシの宮に奉仕しようと皇神等が宮処に集まって杵築いた」との地名由来を記しています。
その出雲大社の社殿は、古代には現在よりも高い建物が建てられていたという言い伝えがありました。平安時代の貴族の子どもの教科書としてまとめられた『口遊(くちずさみ)』には、「大屋を誦して謂はく、雲太・和二・京三」とあり、出雲大社が、大和の東大寺大仏殿や京都の大極殿よりも高いと記されています。この記事を疑問視する説もありましたが、平成12年(2000)に出雲大社境内から13世紀前半と推定される三本柱が出土し、古代には高層の建築物があったという説の信憑性が高まりました。千家国造家には「金輪造営図」と呼ばれる本殿の設計図が伝来しており、それには三本柱をまとめて一本とすることが示されているのと合致する発見でした。この時に発見された柱は、出雲大社に隣接する古代出雲歴史博物館に展示しています。

住所:島根県出雲市大社町杵築東195

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詳しい神話

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葦原中国の平定
第一章 アメノホヒの派遣
第二章 アメノワカヒコの死
第三章 国譲り