天孫降臨


天孫降臨

きっかけは、オオクニヌシの国譲り

その後、たくましく成長したオオクニヌシはついに葦原中国(アシハラナカツクニ)を平定。長年にもわたり国づくりに取り組み、成果を挙げ、ついにアマテラスなどの天神たちに国を譲ることになりました(オオクニヌシの国譲り)。
オオクニヌシの思いを受けて、高天原からは葦原中国(アシハラナカツクニ)の支配を任された神が降臨することが決定します。『古事記』によると、アマテラスとタカギ(タガミムスヒ)両神の命で、当初はアメノオシホミミという神が天降ることになっていました。しかし、降臨しようと身支度をしていたアメノオシホミミには突然、ニニギという名の子どもが生まれます。そこで、アメノオシホミミは自分に代わってニニギを豊葦原水穂国(トヨアシハラミヅホノクニ)に天降りさせることを願い出て、受け入れられます。
ニニギはアマテラスの孫にあたることから、「天孫降臨」と呼ばれるようになりました。
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なぜ天の子でなく、孫なのか?

このとき、ニニギが降臨した地は日向(宮崎県)の高千穂とされます。オオクニヌシが国を譲った場所が出雲であるにもかかわらず、ニニギはなぜ日向に降りたのでしょうか。さらに、最初はアメノオシホミミが天降る予定であったのが、直前になって子のニニギ(アマテラスの孫)に代わったのはなぜか。そこも見逃せない謎ですが、この点については、七世紀後半に即位した持統天皇とのかかわりが指摘されています。
持統天皇は夫の天武天皇が崩御したのち、皇后の立場で政治を執ったものの、皇子の草壁皇子(くさかべのみこ)が亡くなったため、自らが天皇に即位しました。その後、草壁皇子の子、すなわち持統天皇の孫にあたる文武天皇に譲位したのです。ここには、祖母から孫への継承という関係が読み取られ、「アマテラス→ニニギ」の天孫降臨神話と同じパターンを見ることができます。

天孫降臨神話の原型は七世紀後半に生まれた!

持統天皇にとって、我が子の草壁皇子が亡くなったあと、自分と天武天皇の血統を受けつぐ文武天皇を即位させることは最大の願いでした。持統から文武への皇位継承を正統化し、保証するための大きな拠り所として形成されたのが、アマテラスを天孫降臨の司令神とし、孫のニニギがその命を受けて天降るという「天孫降臨神話」に他なりません。 天孫降臨神話の歴史的背景をこのように読み取るならば、この神話の成立も持統天皇の時代と考えることができます。つまり、天孫降臨神話が形づくられたのは七世紀後半の段階ということになります。記・紀神話を形成する個々の神話がいつごろ、どのようにして形成されたかについては、なかなか知ることが難しいものです。その意味でも天孫降臨神話は、成立の事情が推測することのできる貴重な神話といえます。


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