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うちの後ろの竹藪に(手まり歌)

 「千松口説き」として、以前は手まり歌として女の子たちによくうたわれていたものです。この歌は江戸時代には知られていたようで、仙台藩のお家騒動を扱った当時の浄瑠璃の名作「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の中で、若君鶴喜代君を毒殺する陰謀を知った乳母の政岡は、若君に代わって我が子、千松がその菓子を食べた途端、八汐の刃で絶命します。後に政岡が手まり歌の詞章を思い出しつつうたう詞章にこの部分があるのです。 (解説 酒井董美先生)
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三原 彰枝さん写真
歌:三原 藤枝さん(大東町 明治32年生まれ 昭和43年収録)


うちの後ろの竹藪に スズメが三羽とまって
一羽のスズメがいうことにゃ
よんべ呼んだ花嫁ご 今朝の座敷に座らせて
畳三枚 ござ三枚 六枚屏風を立てつめて
しっぽりかっぽり 泣かしゃんす
何が不足で泣かしゃんす
何だり不足はないけれど
わしが弟の千松が 西のホウラへかね掘りに
かねども掘るやら掘らぬやら
一年たっても戻らんが
二年たってもまだ戻らん
三年ぶりのついたちに
人をごせとの状が来た 人はやらぬがわしが行く
後の田地はどげしゃやら 後のの田地はかねにして
親に三貫 子に四貫 ついた伯母ごに四十四貫
四十四貫の銭金ためて
高い米こうて船に積む 安い米こうて船に積む
さっさ行こ行こ都まで 都もどりに何もろた
一にこうがい 二に鏡 三にさらさの帯もろた
帯はもろたがくけてない
くけてごっさい伯母ごさん くけよくけよと思えども
夜中すぎてはくけられず 帯にゃ短し タスキにゃ長し
山田薬師の鏡の吊り緒に
ちょうどよかろ ちょうどよかろ


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