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勤皇志士託間樊六ほか四士の墓

 鹿島町恵曇の手結の裏手にある。託間樊六は因幡二十士事件で有名な鳥取藩の勤皇の志士。幕末、海路長州に向かう途中、寄港した手結滞で追手に討たれた。

 因幡こ十士事件とは、文久3年(1863)8月17日夜、京都本圀寺(ほんこくじ)でおきた鳥取藩要人暗殺事件。

 河田佐久馬を中心とする鳥取藩の急進的尊皇攘夷派22人が、藩論を尊皇攘夷へむけようとして、鳥取藩の本陣だった本圀寺内で、側用人助(たすけ)黒部権之介ら藩の重臣4名を襲い、そのうち3名を殺害した。二十二士のうち2名は切腹し、20人となり二十士とよばれるようになった。

 京都良正院で罰をまっていたこ十士は、9月に伏見の屋敷に移される。翌年、日野郡(鳥取県)黒坂の泉龍寺へ幽閉され、その翌年には、鳥取の荒尾邸へと移された。その年の7月、第2回長州征伐のさなか、長州とともに討幕を達成しようと、荒尾邸を脱出。橋津から、中原吉兵衛、忠次郎父子の援助を得て、海路美保関を経て手結へ寄港した。ところが、ここで浦役人に怪しまれ、交渉の末、託間樊六、太田権右衛門、吉田直人、中野治平、中原忠次郎の5人が残り、あとの者は海路石州へと向かった。一方、二十士脱出を知った黒部ららの遺族は、手結へかけつけ、託間ら5人を討ちとった。

 五士の遺物は、禅慶院の幽玄閣に保存されている。

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