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コウノジョウアト

国府尾城跡

国府尾城は、八尾川(やびがわ)の河口にそびえる129mの城山の丘陵地にあった。甲ノ尾城ともいわれる。南は西郷湾、東側、北側は八尾川に囲まれて天然の要害となっている。ひときわ高い山頂部分に主郭があり、現在佐々木氏の小さな祖霊社(それいしゃ)が祀られている。主郭から北西側に下ると小さな郭(くるわ)部があり、これらの郭には石垣が残っており、今も馬場跡と称される郭もある。郭の近くには井戸跡や、南西麓に七人塚と称する墓地がある。城山の西麓には、館跡と推定される土壇も残っており、周辺からは鬼瓦などが出土した。

 当城の城主隠岐氏は、出雲、隠岐の守護であった佐々木氏から出たもので、初め西郷町東郷にあった宮田城(くんだじょう)に拠(よ)ったが、隠岐清政の時に国府尾城に移城した。その時期を天文年間(1532~1555)とする説もあるが、それより早い時期に移っていたと考える説もある。清政は国府尾城に移ってから隠岐の諸将を征圧して統一をなし遂げ、隠岐全土を支配し、以後豊清、為清と伝えた。その後、毛利氏の勢力が隠岐に及ぶと、隠岐氏の内部に抗争が起こったこともあって、為清の子少補(しょううの)五郎を最後に国府尾城は毛利氏の手に落ちた。

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