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斐伊川和紙

 出雲和紙で知られる斐伊川和紙は、江戸時代初期、慶安2年(1649)には木次に紙座が設けられ、松江藩から紙座役が任命された。出雲国内の紙が木次で取引きされ、毎月6回、日を定めて紙市が開かれたという。出雲国内の紙市は木次が最も盛況で、特に西日登、上熊谷座の紙が有名だった。

 西日登、上熊谷で生産される紙は槻屋紙(つきやがみ)と呼ばれ、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)を原料に、農閑期や冬の期間に農家の副業として、最大の現金収入の途であった。宝暦年間(1751~1764)が最も盛んで、献上紙として藩庁へも差し出されていた。この地方では上等品のほかに、原料の腐敗しやすい夏場には、紙すきの工程でできる屑をつかってちり紙もすいた。しかし明治、大正と続いた槻屋紙の伝統も、昭和に入って、近代化した製紙業におされて、和紙の需要は急激に減り、終戦後はまったく生産されなくなった。しかし、三刀屋町の井谷伸次がこの伝統の技術を受け継いで、優美で光沢のある和紙の生産に励んでいる。昭和57年(1982)9月島根県ふるさと伝統工芸品に指定。

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