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タマツクリジョウアト

玉造城跡

玉作湯神社背後の小高い山が、玉造城または要

害山城、湯ヶ山(ゆがせん)城、湯ノ城(ゆのさん)と呼ばれる古城跡である。南北朝のころの築城だという。後醍醐天皇が隠岐へ配流される際、同行した湯庄(ゆのしょう)の富士名判官義網の留守中に、家臣の諏訪部扶重(すけしげ)が謀反を企てて築城したものだが、間もなく騒乱で焼失したといわれる。しかしその後、湯庄を領した湯伊予守秀貞が、規模を改めて構築したという。

14世紀末以後の湯氏の消息は定かでないが、秀貞以後、湯氏を称するのは3流11系統ある。このうち、尼子家重臣となった湯氏とは別に、湯家綱の家系がこの城にあったと見られる。

標高96m、この城跡は、軍用水道や城道の形跡が今も残り、頭上には本丸跡が存在している。本丸のほか一ノ平、ニノ平、三ノ平、四ノ平跡も認められる。

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