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キスキジンジャ

来次神社

町並みのはずれにそびえる霞龍山(かりょうざん)の山腹に抱かれている。

『出雲国風土記』には、大穴持命(おおなもちのみこと)(大国主命)が「八十神(やそがみ)は、青垣山の裏(うち)に置かじ」として、城名樋山(きなひやま)に築城し、八十神を追い払ったと記されているが、当社は、この国造りを成した大穴持命を祀っている。

当社は、風土記に「支須支(きすき)社」大原郡内の神祗官社13社のうちの1社で、『延喜式(えんぎしき)』にも「来次神社」とある式内社である。

もとは、現位置より西方200mのところに、俗に「跡(あと)の城(じょう)」にあった。ところが治承(じしょう)年中(1177~1180)に社がこわれ、そのままになっていたが、八幡宮が勧請されたのを機会に八幡社に合祀した。また、明治4年(1871)には、来次神社として郷社に列せられ、八幡社を合殿することになった。現在の本殿は八幡造り。

祭神は大穴待命のほかに武甕槌命(たけみかづちのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)(合殿八幡宮)である。毎年10月1日には例大祭が営まれる。

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