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ノウミユタカシケンショウヒ

能海寛師顕彰碑

能海寛は明治元年(1868)5月18日浄蓮寺に生まれ、法名を支流・石峰と号した。本願寺派の普通教校に入り、哲学館(現東洋大学)で学び、帰郷したが、釈迦直伝の経典を求めて鎖国中のチベットヘの入国に情熱を燃やすようになった。チベットヘ行くため、梵語、チベット語の学習、山岳登山の訓練などをして、当時のチベットヘ入るべく単身で故郷を離れたのは明治31年(1898)のことであった。明治32年(1899)8月に当時のチベット領巴塘(ぼたん)に入国。明治34年(1901)さらに奥地へ入るとの連絡を最後に、杳(よう)として行方は知れなくなった。寛の死が確認されたのは50年後のことで、明治36年(1903)12月チベット国境で非業の死をとげていた。寛が民家の壁に無念の辞世を書き残していたのが発見されたのである。日本人として初めてチベットヘ足を踏み入れた寛を顕彰しようと地区民が発起し、碑が昭和57年(1982)、生家の浄蓮寺境内に建立された。寛には『般若心経西蔵文直訳』『世界に於ける仏教徒』などの著がある。

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