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湯谷温泉

細い道を通ってたどり着く里山の温泉。500年以上前の戦国時代、戦で負傷した武士が傷を癒やしたとされる湯治場で、山間に佇む湯谷温泉「弥山荘」では、源泉かけ流し風呂や信楽焼の「つぼ湯」など、多彩な浴槽が楽しめます。日替わりでドライサウナとミストサウナ、季節ごとに変わる薬湯もあります。
【泉質:塩化物泉】

川本町の観光やイベント情報を提供しています。

世界遺産「石見銀山」が30分圏内に立地し、国道261号線沿い、旧三江線「因原駅」に隣接した道の駅です。
川本町内で育てられた羊の毛を使ってニードル、フェルティング体験(要予約)もできます。

当駅の特産品は、αーリノレン酸を多く含む健康食品として注目されている「えごま」です。
「えごま」の関連商品も充実しています。
他にも町内の農作物に加え、邑智郡内外の新鮮野菜が届きます。
尚、当駅で取り扱っている商品は、全国に発送可能です。

レストランでは、特産の「エゴマ」を使用した「かわもとコロッケ定食」や、石見和牛を使用した「石見和牛焼肉丼」、石見ポークを使用した「生姜焼き定食」が人気です。
近隣の観光案内も行っています。「石見銀山」をはじめ「断魚渓」や「湯谷温泉」、「湯泉津温泉」、などです。お立ち寄りください。

健康をテーマとした施設です。
トレーニングジム、リッスニングルーム(真空管アンプの音色を楽しむ)、室内温水プール、レストラン、カラオケ、宿泊施設があります。
島根県の世界遺産石見銀山近隣にあり、プール、ジム、レストラン、カラオケがある総合遊楽施設です。
シュミレーションゴルフ、卓球も導入しました。

コテージ4棟、和室12畳(3部屋)、多目的集会室兼食堂(60㎡)フローリング室、バーベキューハウス、グラウンドゴルフ8ホール、キャンプ場
<周辺環境>林間
<笹遊里本館>和室12畳3部屋、浴室2室、食堂
<バーベキューハウス>バーベキューセット、木炭、炊事道具

 中国太郎の名を持つ江の川は、川本町を南北に縦断して大きくうねりながら西に流れます。この橋はその両岸を結ぶもので、全長218m、幅6m、ゲルバー式といわれる構造で昭和36年(1961)10月に完成しました。なおここから約1km上流と下流にも橋があり、上流のはかつて吊り橋で川本名物の一つに数えられていましたが、昭和40年(1972)7月の豪雨で流失、その後川本東大橋としてランガター橋に架け替えられました。長さ129.6m、幅6mです。また下流のは川下(かわくだり)橋といいます。

川本町の西端に位置する標高482mの丸山の頂上にあった山岳城跡で、室町時代の築城です。築城には3年の歳月を費したといわれ、山岳城でも珍しい「総攻落(そうせめおと)し」などの仕掛けもあったといわれています。その後この地方に勢力のあった小笠原氏十五代の長旌(ながはた)が居城したが、文禄元年(1592)豊臣秀吉の山城廃止の令で廃城となりました。現在は山頂に本丸、二の丸、城門跡などの石組みが残っているだけです。

 濁(にごり)川が江の川と合流する地点の南西の小高い丘にあり、サクラやツツジのある公園である。かつて、ここの庄屋が浜田藩の援助で、濁川を途中から直接江の川へ引きこもうとした堀割りが、今でも残っている。本格的に公園となったのは、昭和22年(1947)ごろから一人で石を積んでいた中垣孝一によるもので、その後、地区の協力を得て、昭和47年(1972)に児童公園として遊具も備えられ、サクラで賑わうようになった。

広島県と島根県の県境近くにある阿佐山山塊三坂峠付近に、その源を発した可愛川が、三次盆地で西城川・馬洗川・神野瀬川と合流し、その後、小さい蛇行を繰り返しながら脊梁山地を横切り、邑智郡邑智町粕淵より大きく南西方向に向きを転じ、因原付近から西流し、江津で日本海に注ぐ。「中国太郎」とも呼ばれ、中国地方最大の一級河川である。この川は、上流部の広い地域が中国山地の南側にあり、他の河川とは異なり、脊梁山地の隆起以前からの流路を流れる古い歴史をもつ「先行河川」として有名である。この流長200㎞の江の川の地形的な特色を挙げれば、流域面積が約3,800km2で全国第16位であるにもかかわらず、その支流の数は、355をかぞえ、大阪府の淀川に次ぐ第2位の数を誇っている。しかし、それら多くの支流も、地形発達過程の壮年期にあたっており、激しい浸食を行い、滝や峡谷を形成している。
この川が流域に及ぼしてきた影響をみると、近年まで、米、木炭、鉄、雑貨、麻、粗陶器などを運ぶ舟運が三次~江津間にあり、今でも「大津」「唐香(港)」「港」などの名ごりを示す地名が沿岸に残っている。中世期には、河口付近が対朝鮮貿易の基地ともなり、重要な役割を果たしてきたことがわかる。しかし、ひとたび雨が降り始めると、邑智郡背後の雨が県境をまわって流下し、たびたび、洪水をひき起こし、昭和47年(1972)7月には、未曽有の大被害を被った。その後護岸工事や永久橋の架設など、地元や建設省による地道な努力が続けられている。

天秤ふいごの発明者清三郎を顕彰して、その玄孫が安政4年(1857)に建てた。石碑の表面には「創天秤鞴(ふいご)記」と刻まれている。江の川沿岸はその昔、和鉄の産地として知られていた。いまもこの地方に多く残る鉄穴森(かなもり)と鈩(たたら)などの地名や姓がそれを物語っている。砂鉄から鉄をとり出す施設をタタラという。そのタタラで使う火を強力に保つため間断なく風を送るのがふいごである。それにはいろいろな工夫がこらされたが、天秤ふいごは機能の点で画期的であった。そのため享保年間(1716~1736)に、はじめてたたら吹きに利用されたが、数年のうちに全国にひろまったといわれている。

音楽ホール(1,000席)、マルチホール、図書館、研修室1、研修室2、楽屋1、楽屋2、楽屋3、大会議室、中会議室

<収容人数>40名
 25名(広間を除く)
<室数>和室:7室
 宴会場40名位
<宿泊料金>6,800円(税別)~江の川特産の鮎やツガニを生かした郷土料理が楽しめる(6月~10月要予約)。また、11月~3月においては、マガモ、イノシシを使った鍋料理も格別(要予約)。

<アクセス>石見川本駅より徒歩3分

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