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千原温泉

三瓶山にひっそりと湧く秘湯の湯治場。歴史を感じる浴室は、真ん中の仕切りで女湯と男湯に分かれています。〝足元湧出源泉〟と呼ばれ、湯船に浸かっていると、足元からプクプクと泡が出てきて炭酸ガスが心地よく体を包んでくれます。湯温はぬる目ですが、寒い時期は源泉を加温した五右衛門風呂で温まれます。
【泉質:塩化物泉】

美郷町役場の山の手にある複合施設「石見ワイナリー ゴールデンユートピアおおち」。
55mのウォータースライダーや幼児用プールもある温水プール、温浴施設のほか、園内にはコテージやテニスコート、山陰初のふわふわドームなどがあり、幅広い年代にお楽しみいただけます。施設内にあるレストランでは、地元食材を使った料理も味わえます。

インストラクターの指導によって、誰でも気軽にカヌーに挑戦することができます。
トレーラーハウスやキャンプ場、プール、カヌー博物館などもあります。
また、手作り石窯でピザ焼き体験なども出来ます。(有料)
<キャンプ場>
グループサイト1か所、プライベートサイト7か所、トイレ・シャワー・更衣室・炊事場、コインランドリー、ファイヤー場

美郷町石見銀山街道沿いで、江の川支流尻無川と湯抱川にあり、まるで時の流れが止まったような情緒ある温泉地で自然に囲まれ川のせせらぎや木々、鳥、虫の音に癒されます。湯船とその周囲には、長年蓄積した温泉成分が、まるで千枚田のように広がっています。
【泉質:塩化物泉】

江の川の中流部浜原に、中国電力が江の川をせきとめ昭和28年(1953)11月に完成させました。堤頂長361.4m、堤体積5万立方メートルの発電専用ダムです。高さ19mのゲート12門により最高水位65mまで貯水し、常時1,120万立方キロメートルの水量を確保しています。水は、滝原の山腹に貯水され 1,172mの圧力トンネルによって、27.14mの落差を利用し、毎時2万5,000kw/hの発電力をもつ明塚(あかつか)発電所に導水されています。

バカンスハウス7棟 10室

浄土真宗本願寺派です。徳治元年(1306)武蔵国の麻布山善福寺の2代目真海が創建したといわれ、山陰地方における浄土真宗発祥の寺院です。同寺所蔵の「過去帳」は寺請(てらうけ)による檀家制度の発生が、島原の乱より前の寛永12年(1635)頃だとする歴史的に重要な資料です。

臨済宗東福寺派甘露山妙用寺の境内にあり、ヤマザクラ系とエドヒガンザクラ系の雑種で、ミョウヨウジザクラの新称がつけられた樹齢約500年といわれる大樹です。樹高30m、根元まわり4mで、地上3.7mのところで10本の枝に分かれ、東西約21m、南北約18mに枝をひろげています。

昭和51年(1976)4月県の天然記念物に指定されました。

自然が創り出した浴室の“千枚田”

静かで自然の音を聴きながらのんびりと過ごしたい方におすすめです。
四季折々の風情が楽しめ温泉成分はメタケイ酸たっぷり美肌の湯です。

アララギ派の歌人として知られる齋藤茂吉は、歌聖といわれる万葉歌人、柿本人麻呂の終えんの地探求のため昭和5年(1930)から昭和23年(1948)まで7回にわたって石見地方を訪ね、人麻呂終えんの地を美郷町湯抱の鴨山とした。昭和12年(1937)鴨山を実地踏査して「人麿がつひのいのちを終はりたる鴨山をしも此処と定めむ」と詠んだ。この地はその後、戦争の激化で地元の人々からほとんど忘れられていたが、戦後、粕淵町(現美郷町)長の依頼で茂吉みずからが病床の身をおして筆をとり、この歌をしたためた。しかし歌碑の建立は場所の選定などで遅れ、茂吉が亡くなった昭和28年(1953)(茂吉は2月25日死去)の4月29日建立された。茂吉がここを終えんの地としたのは、『万葉集』巻二に「柿本朝臣人麿、石見国に在りて臨死(みまか)らむとするとき、自ら傷みて作る歌一首」という前書付で載っている「鴨山の磐根(いわね)し枕(ま)ける吾をかも知らにと妹が待ちつつあらむ」という辞世の歌と、同じく『万葉集』にある人麿の石見国での妻依羅娘子(よさみのおとめ)の挽歌「今日今日(けふけふ)と吾(わ)が待つ君は石川の貝(かひ)に交(まじ)りてありといはずやも」(224)「直(ただ)の逢(あひ)は逢かつましじ石川に雲立ちわたれ見つつ偲(しの)ばむ」(225)の歌から推理したもので、人麻呂が死んだのは鴨山というところ、その鴨山は石川という川のほとりにあると考えた。石川は石見川で「雲立ちわたれ」というぐらいだから大きな川である。また「石川のかひ」は「石川の貝」ではなく「石見川の峡(がい)」であるとして、石見地方で山峡を流れる雲の立ちのぼるような川は江の川しかないと考え、昭和12年(1937)、同地に住む苦木虎雄青年の手紙をヒントに湯抱の鴨山を選定した。しかし齋藤鴨山説には現在なお異論があって、研究家の興味ある課題となっている。

町では、鴨山探索に情熱をそそいだ齋藤茂吉の偉業を顕彰するとともに、人麻呂終えんの地「湯抱の鴨山」を広く伝えるために、平成3年(1991)5月に「齋藤茂吉鴨山記念館」を開館した。

広島県と島根県の県境近くにある阿佐山山塊三坂峠付近に、その源を発した可愛川が、三次盆地で西城川・馬洗川・神野瀬川と合流し、その後、小さい蛇行を繰り返しながら脊梁山地を横切り、邑智郡邑智町粕淵より大きく南西方向に向きを転じ、因原付近から西流し、江津で日本海に注ぐ。「中国太郎」とも呼ばれ、中国地方最大の一級河川である。この川は、上流部の広い地域が中国山地の南側にあり、他の河川とは異なり、脊梁山地の隆起以前からの流路を流れる古い歴史をもつ「先行河川」として有名である。この流長200㎞の江の川の地形的な特色を挙げれば、流域面積が約3,800km2で全国第16位であるにもかかわらず、その支流の数は、355をかぞえ、大阪府の淀川に次ぐ第2位の数を誇っている。しかし、それら多くの支流も、地形発達過程の壮年期にあたっており、激しい浸食を行い、滝や峡谷を形成している。
この川が流域に及ぼしてきた影響をみると、近年まで、米、木炭、鉄、雑貨、麻、粗陶器などを運ぶ舟運が三次~江津間にあり、今でも「大津」「唐香(港)」「港」などの名ごりを示す地名が沿岸に残っている。中世期には、河口付近が対朝鮮貿易の基地ともなり、重要な役割を果たしてきたことがわかる。しかし、ひとたび雨が降り始めると、邑智郡背後の雨が県境をまわって流下し、たびたび、洪水をひき起こし、昭和47年(1972)7月には、未曽有の大被害を被った。その後護岸工事や永久橋の架設など、地元や建設省による地道な努力が続けられている。

<派遣公演>可

曲目は約25種あり、鍾馗、天の岩戸、大江山、塵倫など多彩な曲目を伝えている。

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