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清流がはぐくむ石見のおいしい文化圏をめぐる

行き先にテーマをもたせるのも旅の楽しみのひとつ。おいしい食に目がない人なら、「美しい水」をキーワードに石見をめぐるのはいかがでしょう。今回は清流・高津川をたどりながら、石見の新旧の食文化をめぐります。
 
都市から石見へ訪れると、何気なく飲む水のおいしさに驚く人も多いといいます。水がおいしい土地は、ごはんもお酒もおいしいもの。“日本食は水の料理”と言われるように、水は豊かな食材を育てるにとどまらず、料理の味を決める重要な要素です。日本酒やお茶の文化も、おいしい水があればこそ。そして石見を流れる清流・高津川の流域には、美しい水がはぐくむ多様な食文化が広がっています。

春の高津川。桜と青く澄んだ川面のコントラストが美しい。

高津川は、国土交通省の調査で7度の“水質日本一”に選ばれた、知る人ぞ知る清流。2019年公開の映画『高津川』でその美しさが印象的に描かれたのも記憶に新しいところ。とはいえ高津川は人里離れた秘境の川ではありません。水源から河口の益田市まで生活圏のすぐそばにある、いわば石見の“近所の川”。暮らしの中で大切に守られてきたからその水質が保たれ、地域に豊かな食文化を 生み出してきたのです、

“青いダイヤ”と呼ばれた匹見のわさび

高津川流域を上流から巡ってみましょう。まず訪れたのは、石見有数の美しい渓谷として知られる匹見峡。萩石見空港からレンタカーで1時間ほど走ると、高津川の支流・匹見川の清らかな渓流と、雄大な樹々が息づく匹見峡に到着です。そこは澄みわたった空気とみずみずしい森の香りに癒される別世界。匹見峡レストパークなどキャンプサイトもあり、アウトドアも人気のエリアです。

裏匹見峡は国定公園にも指定され豊かな自然が残る。キャンプやハイキングも人気。

匹見峡がある匹見町を代表する食といえば「わさび」。西日本一の高級わさびとして知られた
匹見のわさびは 、最盛期の昭和 20 年代にはひとかごに当時で 10 万円の高値がつき、「青いダイヤ」と呼ばれたといいます。他に類を見ない香り高い風味で一時は日本料理界を席巻した匹見のわさびですが、生産者の高齢化などの理由から生産量が落ち込み、いつしか“幻のわさび”と呼ばれるように。

京都から移住し、匹見わさびの復活に情熱を燃やす安藤さんのわさび谷。
常に清流の流れる斜面で、野生に近い環境で育てられる。

近年、匹見のわさび文化を復活させようと情熱を燃やす新たな生産者たちがこの地を盛り上げています。京都から匹見に移り住んだ「葵屋」の安藤達夫さんは、水害や後継者不足から放棄されていた栽培地「わさび谷」を復活させました。安藤さんのわさびが育つのは、山奥の急斜面。標高600メートルの山の上にあるわさび谷は、たえず清らかな山水が流れる限りなく野生に近い環境。人が訪れるには過酷な場所で栽培には手間と根気が必要ですが、だからこそ粘りと旨味の強い野趣あふれるわさびが育つといいます。

同じく匹見でわさびを育てる齋藤英志さんの自慢は、希少な在来種の谷わさび。関東圏ではほとんど出回らない品種で、特徴は茎の付け根が赤いこと。「辛さがありながら、食べるうちに甘みが出てくるんです」と齋藤さん。いちばん美味しい茎の付け根から摩るのがおいしく食べるコツだそう。口に運ぶと、繊細な辛味を追いかけるように豊かな甘みが広がります。

匹見で在来種のわさびづくりを行う齋藤さん。
在来種のわさびは、一般にはほとんど流通しない希少なもの。


一般市場ではまだまだ珍しい匹見のわさびですが、匹見の道の駅などでは日によって採れたてのわさびが販売されることも。匹見に訪れたら、この地の清流が育てた特別な風味を、ぜひ探してみてください。

おかずがいらないほど、おいしいお米。

日本の食といえばお米は外せません。高津川の中流域、吉賀町。その山あいにある大井谷地区は「日本の棚田百選」にも選ばれた美しい景観で知られています。そしてこの地で作られる棚田米は、時をこえて受け継がれてきた、地域のシンボルです。

「日本の棚田百選」にも選ばれた大井谷の棚田の風景。

かつて津和野藩主への献上米として重宝された大井谷の棚田米。山あいの小さな集落ながら、おいしいお米の産地として当時から大井谷の名はよく知られていたといいます。棚田米はいわばこの地の人たちが代々受けつぐ誇り。
 
大井谷の棚田は約600年前の室町時代に開墾された棚田といわれ、お米の味は特徴は濃厚な甘味です。その秘密は、山の急斜面につくられた棚田にたえず流れ込む清らかな湧水と、昼と夜の寒暖差。

大井谷の棚田米。道の駅や通販サイトなどで購入できる。

入り組んだ形の大井谷の棚田には機械が入れない場所も多く、米づくりには大変な労力がかかります。それでも手間を惜しまず、代々受け継ぐおいしいお米づくりを続ける人たちが、この地の風景と味を守っているのです。大井谷出身の人に聞くと「炊きたての新米は何よりのごちそう。おかずがいらないくらい」だとか。この地の水で炊いた炊き立てのお米は、素朴ながら何よりの贅沢なのです。

鮎を求め日本中の食通が集う名店

高津川の天然の鮎は日本でも有数の美味として知られています。骨や内蔵まで美味しい鮎を目当てに、シーズンには遠方から訪れる食通や釣り人の姿も。高津川の鮎がおいしい理由は、高津川が日本でも珍しいダムの一切ない一級河川だから。貯水されず新鮮な水が流れるため川底に良質な苔が育ち、それを食べて育つ鮎は臭みなく豊かな薫りを全身に纏うのです。

「島根 美加登家」の鮎の塩焼き。鮎料理が楽しめる時期は6月〜11月頃。(写真:島根県観光連盟提供)

高津川の鮎を味わうなら、鮎に精通したプロの料理人の技を楽しみたいもの。「島根 美加登家(みかどや)」は、高津川の中流に位置する津和野町日原にあり、鮎料理を求め全国の食通がわざわざ訪ねる名店。天然鮎のコースは1人前で7〜8匹分の鮎を使う贅沢なもの。鮎の卵と白子を塩漬けした「子うるか」や背骨ごとスライスしたお刺身「背ごし」、そして真骨頂の「塩焼き」と、鮎の奥深さを感じる構成。シーズン中はあっという間に予約で埋まるほどの人気です。

鮎のオフシーズンは花山椒や島根和牛などが楽しめる(写真:島根 美加登家提供)

中骨ごと輪切りにした「背ごし」。新鮮な鮎だからこそ楽しめる味。

ビールを入口に石見の味に出会う

「高津川リバービア」代表の上床さん。

高津川の下流、益田市へ向かいます。最初のお目当ては2020年にオープンした「高津川リバービア」。築160年の日本家屋を活用した空間で、高津川の水を生かしさまざまなクラフトビールをつくる醸造所です。「高津川流域でつくられる多種多様な野菜や果物を使ってビールを作っているんです」。そう語るのは代表の上床さん。
 
こちらの人気は、お茶やフルーツなど地域の食材を使った香り豊かなクラフトビール。そのラインナップは、まるで高津川流域の食材のオールスター。例えば、先ほども紹介した匹見の「葵屋」さんが育てるクロモジ、吉賀町のお茶、益田市のシャインマスカット……。地域の食材を使って、さまざまなビールを作っているのです。

「益田マスカットエール」「美都いちごセゾン」など豊富なラインナップ。

それぞれのビールの由来を聞くと、熱っぽく地域の食文化の魅力を語ってくれる上床さん。「地域の食の魅力を知る入口になりたいんです」という言葉におもわず納得です。2022年12月には醸造所と同じ通りに新店舗「クラフト酒場高角(たかつの)」がオープン。同店は現在はビールの販売のみですが、近いうちに高津川流域のおつまみを提供する立呑処としての営業スタートも計画中。高津川の水から生まれたビールが、地域の食材に合わないわけがありません。

店舗ではできたての生ビールを楽しめる。

「クロモジギャルド」に使われる匹見の「クロモジ」。ハーブのような香りが特徴。

クラフトビールの仕込みの様子。

“日本一の居酒屋”田吾作

「田吾作」の3代目で板前を務める志田原耕さん。

石見のおいしさをめぐるなら、魚介類は外せないところ。ということで、地元の人なら知らぬ人のいない益田市の名店へ向かいます。「田吾作」は、グルメ雑誌で“日本一行きたい居酒屋”と評され、日本中からおいしいもの好きが集う人気店。目玉は日本海でとれる新鮮な海の幸。そして高津川流域のさまざまな旬の食材を使い、丁寧に手作りした料理とともに地域のお酒を楽しめます。
 
風格漂う店構えに期待をつのらせのれんをくぐると、板前の志田原さんの笑顔がお出迎え。酒場の心地よい空気に満たされた店内に期待も高まります。まず目に入るのがカウンター脇の巨大な生け簀。毎朝仕入れたイカや魚を生け簀で活かし、注文が入ってから刺身にするといいます。

高津川の鮎とツガニ。ツガニの旬は8月から9月。

高津川の名産「ツガニ」を知っている人はかなりの食通でしょう。中国の高級食材・上海蟹の仲間の川ガニで、その濃厚な旨味は一度食べたら忘れられないほど。「今日はメスが入ってるよ」と志田原さん。ツガニはオスとメスで味わいが違い、特にメスの卵はとびきりの美味とされる極上品です。
 
高津川と日本海が交わる海域で獲れたクリーミーで濃厚な「鴨島蛤」、梅酢で食べる高津川の鮎の塩焼き、大豆からつくられる自家製のお豆腐……素材の良さを引きだす深い理解と繊細な仕事がそれぞれの料理に行き渡っています。お品書きは水揚げしだい。自然の気まぐれに寄り添いながら、その日その時に一番おいしいものを最高の調理で楽しめる。これこそが、田吾作が遠方から足繁く通うファンを集める所以です。

「田吾作」の創業は昭和42年。朱色の暖簾が目印。

一番人気の「活イカ」。新鮮で透き通った肉厚な身は、濃厚な甘味が楽しめる。

発酵する音が聞こえる「生どぶろく」。他では飲めないこの味を求めて訪れる人も多い。

高津川に導かれるように旅をすれば、さまざまな石見のおいしさに出会えます。その背景にあるのは美しい水のある環境を大切に、自然と寄り添う人々の思い。これこそが石見の食がおいしい一番の秘密かもしれません。都市の暮らしで忘れがちな、水が与えてくれる豊かさに触れる。そんなおいしい発見が、石見で待っています。

Photography Yuri Nanasaki

この記事で登場した場所

匹見峡レストパーク

島根県益田市匹見町匹見イ853-3
090-5372-1549

島根 美加登家

島根県鹿足郡津和野町日原221-2 
0856-74-0341

田吾作

島根県益田市赤城町10-3
0856-22-3022

高津川リバービア

島根県益田市高津2-1-19
0856-32-9641

大井谷棚田

島根県鹿足郡吉賀町柿木村白谷

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