人麻呂生誕の地といわれる戸田に建てられた神社。宮司を務める綾部家の庭には遺髪塚があります。
万葉歌人として知られる柿本人麻呂を祀る神社で、創建は神亀年間(724〜729)聖武天皇の勅命により終焉の地鴨島に社殿を建築されました。
鴨島展望地(久城が浜)は、人麿が没した地と言われる鴨島を望める位置にあり、日本海を一望できます。
浜田市殿町の市街地中央部に位置する標高70mの小丘上にあり、築城当時に鴨山を亀山に改名したことから、別名亀山城と呼ばれています。
円礫が露出する高さ25m余の海食崖の下に、千畳敷とよばれる約6haにおよぶ広大な砂岩の隆起海床が広がっており、これらの地層は約1500万年前に浅い海の中でたい積したもので、鯨骨や貝などの化石が多く含まれています。
大崎鼻は、柿本人麻呂の歌「つのさはふ石見の海の言さへぐ韓の崎なる……」(『万葉集』巻二の135)の韓の崎(辛の崎)との説も。
柿本人麻呂と妻依羅娘子の像と人丸神社があります。早咲き、遅咲き等100種類以上の椿が植栽され、四季折々の花樹とともに美しい自然を演出。駐車場のほか、250段の健康階段、健康園路や休憩所、観光望遠鏡などがあり、ハイキングまたは山頂を目指す途中の休憩地として最適です。
五十猛町大浦の泊り山にあり、祭神は素戔嗚尊。素戔嗚尊は、新羅から五十猛神、大屋津姫、抓津姫の3人の御子神とともに、大浦の神島に上陸され、泊り山にしばしおとどまりになったという神話が伝えられています。
静間川河口の西、静間町魚津海岸にある洞窟。波浪の浸食作用によってできた大きな海食洞で、奥行45m、高さ13m、海岸に面した二つの入口をもっています。
上古は神体山である八百山を奉斎していましたが、継体天皇8年(513)に天皇の勅命により社殿を八百山の麓に創建。この神社は石見の一の宮として、広く崇敬を集めてきました。