【歌】石見(いはみ)の海 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺(うみへ)を指して 和多津(にきたづ)の 荒磯(ありそ)の上に か青く生(お)ふる 玉藻(たまも)沖つ藻 朝羽(あさは)振る 風こそ寄らめ 夕羽(ゆふは)振る 波こそ来(き)寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜(つゆしも)の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠(とほ)に 里は離(さか)りぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎(しな)えて 偲(しの)ふらむ 妹が門(かど)見む なびけこの山
(「万葉集」巻2 131)

【訳】石見の海の角の海岸を、よい浦などないと人は見るだろうが、よい干潟などないと人は見るだろうが、それならそれでよい。 たとえよい浦はなくても、たとえよい干潟はなくても、私にとってはかけがえのない所、この海辺を指して、和田津の岩場のあたりに、 青々とした玉藻や沖の藻を、朝、鳥が羽ばたくように風が吹き寄せ、夕べに鳥が羽ばたくように波が打ち寄せる。 その波のままに、あちらへ寄ったりこちらへ寄ったりして揺らぐ美しい藻のように寄り添って寝た妻を、露霜が置くように角の里に置いてきたので、 この道の曲がり角、曲がり角ごとに幾度も振り返って見るけれど、いよいよ遠く、妻のいる里は離れてしまった。 いよいよ高く、山も越えて来てしまった。 妻は今頃は夏草が日差しを受けて萎(しお)れるように思い嘆いて、私を慕っているだろう。 その妻のいる家の門を遥かに見たい、なびき去れ、この山よ。

 

【歌】つのさはふ 石見(いはみ)の海の 言(こと)さへく 辛(から)の崎なる 海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)(お)ふる 荒礒(ありそ)にぞ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝し夜(よ)は 幾だもあらず はふ蔦の 別れし来れば 肝向(きもむ)かふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大舟の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻隠(つまごも)る 屋上(やかみ)の山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 天伝(あまづた)ふ 入日さしぬれ 大夫(ますらを)と 思へる吾も 敷栲(しきたへ)の 衣の袖は 通りて濡れぬ
(「万葉集」巻2 135)

【訳】石見の海の辛の崎にある海石(海中の岩)には、海松(海草)が生い茂り、荒磯にも美しい藻が生い茂っている。 その玉藻のように、添い寝した妻を、その深海松の名のように、深く思いながら、共に寝た夜は、いくらもなかった。 今、這う蔦の先の別れるように、別れてきたので、心を痛め、悲しい思いにふけりながら、振り返り見るけれども、 渡の山の紅葉の葉が散り乱れていて、妻の振る袖もはっきりとは見えず そして、屋上の山の雲間を渡る月が姿を隠していくように 妻の姿も見えなくなってしまった。 その時、入日が淋しく射してきた。ひとかどの男子だと思っていたわたしも、衣の袖が涙でしみ通るほど濡れてしまった。

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