小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーンは、1850年6月27日、ギリシアのレフカダ島でアイルランド人の父と、ギリシア人の母との間に生まれました。
若い頃には、両親の離婚や左目の失明など苦労多い人生を過ごしますが、やがてアメリカに渡って新聞記者として活躍。そして1890年(明治23年)、39歳の時に来日します。
同年8月に、知人の紹介により島根県尋常中学校及び師範学校の英語教師として、松江に赴任しました。
1年3ヶ月の松江の暮らしの中で出会った「古き良き日本」に、八雲は大きな感銘を受けました。
また後に妻となる小泉セツから聞いた、この地に伝わるたくさんの不思議な話を元に、独自の考察を含めながら「怪談」「知られぬ日本の面影」「神々の国の首都」など多くの著作を著しました。
日本の伝統的精神や文化を愛した八雲は、多くの作品を通して日本を広く世界に紹介しました。
松江藩士の娘・小泉セツと結婚した八雲は、かねてから念願だった松江城堀端の武家屋敷で暮らし始めました。熊本へ転任するまでの約5ヶ月、セツと共に過ごしたこの家を、八雲は終生愛したといいます。
小泉八雲の著作の多くはこの家で書かれ、あるいはヒントを得たものでした。名作「知られぬ日本の面影」第16章「日本の庭」の舞台となった三方に庭が見える部屋、八雲が好んで眺めた庭園などがそのまま残されており、当時の様子を偲ぶことができます。
■小泉八雲記念館
島根県松江市奥谷町322
TEL: 0852-21-2147
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小泉八雲旧居に隣接して、八雲に関する資料を展示・公開する世界で唯一の単独施設「小泉八雲記念館」があります。八雲の没後、松江出身の岸清一博士やハーンの愛弟子たちの募金活動によって、1933年に建設されました。
八雲の直筆原稿や初版本のほか、愛用の机・椅子・衣類などの遺愛品を中心に、二百数十点が展示されています。
庭に棲む虫やカエルなどを愛した八雲が使っていた虫カゴや、
執筆の際に用いていたペンやインク壜もあり、当時の暮らしの一端をうかがい知ることができます。
■塩見縄手
島根県松江市北堀町
TEL: 0852-22-2243(武家屋敷)
>>詳細
松江城の北側堀沿いには、武家屋敷や長屋門、塀が続き、松江でも最も城下町らしい面影を残している通りがあります。
「塩見縄手(しおみなわて)」と呼ばれるこの地域は、江戸時代に、異例の出世をした塩見小兵衛をはじめとする武士の屋敷が建ち並んでいたところで、現在は小泉八雲旧居や記念館、武家屋敷などがあり、昭和62年には建設省「日本の道100選」にも選ばれました。
旧居前の塩見縄手公園には、小泉八雲の来日百年を記念して、生誕地ギリシア・レフカダ島に立つ胸像を写した象が建立されています。
■城山稲荷神社
島根県松江市殿町449-2
TEL: 0852-21-1389
>>詳細
徳川家康の孫にあたる松平家初代藩主直政公が、松江藩出雲隠岐両国の守護神として祀ったのが、城山稲荷神社です。
八雲は通勤途中に通りかかる城山稲荷神社をいたく気に入って、しばしば訪れました。
境内に様々な表情で並ぶ大小数百の石狐が八雲のお気に入りで、中でも隋神門前の一対の狐を一番好んでいたといいます。八雲が愛した狐は、現在傷みがはげしいため場所を移され、2代目の石狐が門前で出迎えてくれます。
城山稲荷神社の神札は、当時火難除としても市中どこの家の軒先にも貼られていたため、八雲はそれを松江の唯一の防火設備だと紹介しています。
■島根県尋常中学校跡
島根県松江市殿町8-1
八雲が通った尋常中学校は、後に松江中学と改称され更に松江北高となって、場所も移転しました。
八雲は明治23年(1890年)9月2日から、翌明治24年(1891年)10月26日まで尋常中学校で教べんをとり、ここでの教師体験を欧米の教育とも比較しながら、「英語教師の日記」につぶさに記しています。
尋常中学校跡には、現在島根県警本部庁舎が建っています。
■松江大橋
島根県松江市末次本町
明治23年(1890年)8月30日午後4時、松江大橋近くの港に汽船で到着した八雲は、その日、対岸の富田旅館に泊まりました。この宿で迎えた朝は、八雲にとって極めて鮮やかな記憶として残ったようです。
「知られぬ日本の面影」の中で、耳の下の脈拍のように響く米つきの音や、大橋を渡る下駄の音、山々や宍道湖にたなびく朝もや、朝日に向って柏手を打つ姿など、松江大橋沿いの朝の光景を感動を込めて記しています。
松江大橋や宍道湖も八雲お気に入りの場所でした。
■龍昌寺
島根県松江市寺町136
TEL: 0852-21-6256
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八雲は「神々の国の首都」の中で、毎日多くの寺社を見て歩いたことを記していますが、この龍昌寺の十六羅漢を見ることをとりわけ楽しみにしていました。
様々な表情の十六羅漢が八雲の心をとらえ、「夢見るごとき観音や、微笑している地蔵を見つけることができる」と書いています。八雲はこの寺で、当時の著名な彫刻家・荒川亀斎が作った地蔵を見つけ、地元の人々を驚かせました。
その地蔵は罹災により破片となってしまいましたが、復元され、現在小泉八雲記念館に展示されています。
■小泉八雲文学碑
島根県松江市千鳥町
TEL: 0852-27-5843
松江しんじ湖温泉前の千鳥南公園は、散歩やジョギングなど、宍道湖畔の市民の憩いの場所として親しまれています。
公園内には、「神々の首都 松江」という小泉八雲文学碑や、八雲が書いた「怪談」の代表作「耳なし芳一」の像といった文学碑が建っています。
普門院は、松江藩の初代藩主である堀尾吉晴公が、松江を開府した際に松江城鎮護の祈願所として開山した寺院です。
境内にある「観月庵(かんげつあん)」は、細川三斎流の茶室で、八雲もここでお茶の手ほどきを受けました。
庵の本席東側には大きな窓があり、茶人大名としても有名な第7代藩主松平不昧公は、この窓から月を眺めることを愛したといいます。
この普門院は、八雲の著作「怪談」の中で「小豆とぎ橋」ゆかりの場所として紹介されています。
庭園を眺めながら、抹茶や季節の和菓子をいただくこともできます。
■松江城
島根県松江市殿町1-5
TEL: 0852-21-4030
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松江城は、松江開府の祖・堀尾吉晴公が足掛け5年の歳月をかけて慶長16年に築城しました。千鳥が羽根を広げたように見える千鳥破風の屋根が見事なことから、別名「千鳥城」とも呼ばれます。
松江城築城の際、本丸東側の石垣が何度も崩れ落ちたため、不審に思って地下を掘ると、錆びた槍の刺さった髑髏が出土しました。丁寧に供養すると、その後は無事に工事が進みました。出土した穴からは澄んだ水が湧き出し、ギリギリ井戸と呼ばれたそうです。(ギリギリとは方言で頭のつむじのことを意味し、小高くなった場所をさしています。)
■月照寺
島根県松江市外中原町179
TEL: 0852-21-6056
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松江藩主松平家の菩堤寺で、初代直政から9代斉斎までの墓があります。7代藩主治郷(不昧公)の廟門は、名工・小林如泥の作で、飾りのブドウの透かし彫りなどが見事。
境内にある大きな亀の背にのった石碑は6代藩主の寿蔵碑で、八雲はこの大亀が夜ごと町へ出て暴れたという話を、「知られぬ日本の面影」の中で紹介しています。
梅雨時にはあじさいの花が咲き誇り、「山陰のあじさい寺」として観光客に人気です。
八雲はこの寺をこよなく愛し、墓所をここに定めたいと願っていたそうです。
■ 清光院
島根県松江市外中原町194
TEL: 0852-21-2912
清光院は、月照寺に隣接する小高い丘陵地にある曹洞宗の寺で、武芸者の檀家が多かったそうです。
八雲の「怪談」に登場する「芸者松風の幽霊」の、消えぬ血の足跡の話が伝わる寺でもあります。
■大雄寺
島根県松江市外中原町234
TEL: 0852-22-1468
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大雄寺(だいおうじ)は松江開府の際に広瀬町から移築されました。山門前にある川は松江城の堀川に通じており、松平直政は舟を使って出入りしたといわれ、殿様専用の山門もあります。
山門をくぐると、左側に八雲の怪談「飴を買う女」の舞台となった墓地があります。
■源助柱記念碑・大庭の音のする石
島根県松江市白潟本町(松江大橋南詰)
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堀尾吉晴公が初めて大橋を架けようとした時、あまりにも難工事だったため、一人の男を人身御供にしました。人柱となった源助の名をとって、大橋の中央の柱を源助柱と呼びました。八雲は「神々の国の首都」の中で、人柱のことを興味深く記しています。
また打てば鐘のように響く大庭の石は、一定の距離以上運ぶことができないという言い伝えがあり、松江城に運ばせようとした時、石が非常に重くなって千人かかっても大橋から先へ動かすことができなかったといいます。