葦原中国の平定


国譲り神話

日本列島の支配を正当化?

国譲り神話は、天の国である高天原が、地上の国すなわち日本列島の支配権をオオクニヌシから受け継ぐという神話です。『古事記』『日本書記』などにみられますが、特に記・紀の中でこの神話が果たす役割はとても大きく、天皇家の日本列島支配の正当性を伝えています。この神話がないと、天孫降臨神話につながらず、神武東征に始まる天皇支配の正当性は説得力に欠けるものになります。

高天原の使者が次々にやって来た!

『古事記』をもとにして国譲り神話をみていくと、まず高天原からアメノホヒが使者として派遣されます。しかし、アメノホヒはオオクニヌシに取り込まれて3年経っても復命しませんでした。
そこでアメノワカヒコが弓と矢を授けられて地上へ降りますが、やはり8年経っても復命しませんでした。そこで、様子を見るため、鳴女(ナナキメ)と呼ばれる雉を遣わしましたが、アメノワカヒコに射殺され、その矢は雉を抜いて高天原のアマテラス・タカミムスヒのところまで届きました。タカミムスヒがその矢を投げ返すとアメノカワヒコの胸に刺さり、死んでしまいました。
その後、タケミカヅチとアメノトリフネが派遣されて、伊耶佐(いざさ)の小浜(稲佐浜)に降りました。タケミカヅチは十拳剣(とつかのつるぎ)を波頭にさかさまに立て、その剣先にどっかとあぐらをかいてオオクニヌシに国譲りを迫りました。オオクニヌシは「年老いた自分の一存では決められません」と、わが子であるコトシロヌシに判断を委ねます。
 ≫ <第一章>アメノホヒの派遣を詳しく読む
 ≫ <第ニ章>アメノワカヒコの死を詳しく読む

出雲大社はこうして造られた

コトシロヌシが国譲りに同意すると、「もう一人の子どもであるタケミナカタにも聞いてほしい」と、言いました。タケミナカタはすぐには賛成せず、「力比べで勝負してきめよう」と、タケミカヅチに挑みますが、敗れて逃げ出し、信濃の諏訪湖で追い詰められてついに国譲りに同意しました。 二人の子どもが同意したのを知り、オオクニヌシもついに国譲りを受け入れ、「その代わりに、私の神殿を皇孫が天つ日継ぎを受け、統治する立派な宮殿と同じくらい立派なものにしてください」と望みます。願いはかなえられ、多芸志の小浜に大きな神殿が造られました。これが出雲大社の起源です。そしてオオクニヌシは、そこに鎮座してコトシロヌシにやはり自分の子である百八十神を統率させました。
 ≫ <第三章>国譲りを詳しく読む


<第一章>アメノホヒの派遣へ続く

関連情報・注釈