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  しまね観光ナビトップマルチメディア館和歌へのいざない和歌の世界を散策〜地図 > 村上家

アクセス
菱浦から豊田行きバス約10分、 隠岐神社前下車

 中世から近世にかけて繁栄した豪族村上氏の邸。隠岐に配流された後鳥羽上皇をくもん公文(村役人の代表)として忠勤にはげみ、上皇亡き後は今日まで御墓守をしています。村上家は代々「助九郎」を名乗っています。慶長13(1608)年徳川家康によってこの島に流されていた飛鳥井雅賢から蹴鞠の免状を授かったときに命名されたものといわれています。

後鳥羽天皇御火葬塚守部 村上助九郎さんのお話より
 私の家は代々ずっと都にぜい贅(海の幸など)を送る仕事をしていました。そういった背景から鎌倉幕府が天皇を隠岐へ配流する際に、「(隠岐には)村上助九郎がおるから」ということで、天皇が島での生活に不自由しないように援助して差し上げること、また天皇が島を脱出されては困るということから「見張り役」という相反する責務を背負っていました。宮中に最初にお茶を持ち込んだといわれている天皇は、心の拠り所としてたびたび来られ、お茶を飲まれたといいます。
〜墓守という特別なお仕事についての思いは?〜
 もちろんそれは、しないといけない(御墓をお守りしなければいけない)という気持ちでないとやれないということですね。実際はそうして守ってきたということです。そしてこれからも(この墓守という仕事を)大事にしていきたいですね。ここまで続けてきたというのが私の誇りです。後鳥羽天皇が隠岐に流されてからおよそ800年、その間続いてきたということもすごいことです。そういう(先祖代々の)つながりを大切にしています。

◆◆散策ひとくちメモ◆◆

 村上さんの邸内で、後鳥羽上皇に関するとても貴重な資料を特別に見せていただきました。(左)は、「後鳥羽上皇の御歌の書かれた額」、(右)は、村上家に昔からあるという大変貴重な百人一首です。この百人一首は木箱に入っており、大変歴史を感じさせてくれるものでした。

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