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若槻さんのプロフィール

小原先生の注釈
憂き我が身によって、とにかくに人の本心もすっかり見えてしまった。してみると、憂きということは、本当に人の本心を映す鏡であろうか。

小原先生の解説

憂き辛い境遇を体験されて初めて、人の本心が分かった。どのような境遇になろうとも、変ることなく親交を続ける者もあるが、相手に権力があるとか、財産があるとかの間は、寄り付くが、その相手が一旦その逆の境遇になると掌を翻すが如く外を向いてしまう。これがこの世の人情の常である。院の隠岐遷幸後も、院に対する心は変らず、都から便宜につけて絶えず便りを奉り御慰問する者もあれば打って変って素知らぬ態度をする者もあったのであろう。院は隠岐遷幸の憂身となられて、このような人間の本心をすっかり見てしまわれたのである。都では経験されることもできなかったことである。この憂身にならなかったなら、人間の心を見られることはできなかったわけである。そう思えば、憂身がそのことを照らし出して見せたことになる。だから「うきやのもりのかがみなるらん」と詠まれた。そう悟ったような言い方をされても、それでもって御心が慰められたわけではないだろう。それにしても悲しい鏡ではないか。

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