慶安元年(1648)、出雲の国が大凶作の危機に見舞われた際に、松江・松平家初代藩主松平直政公が、「阿太加夜神社」(八束郡東出雲町)の神主松岡兵庫頭に命じ、城内に祀られた城山稲荷神社の御神霊を阿太加夜神社へ船でお運びし、長期にわたり五穀豊穣を祈願させた事がホーランエンヤの始まりと伝えられています。
そして現在では12年に一度、約100隻の船が大橋川と意宇川を舞台に繰り広げる、360年の歴史を有す豪華絢爛大船行列「ホーランエンヤ」として受け継がれています。「ホーランエンヤ」とは「松江城山稲荷神社式年神幸祭」の通称で、古くから宮島の管絃祭、大阪天満の天神祭と並び、日本三大船神事の一つといわれる、水の都松江が誇る全国最大級の船祭りです。
9日間にわたって執り行われる神幸祭の見所は、何と言っても「渡御祭」と「中日祭」と「還御祭」です。中でも「渡御祭」と「還御祭」では、「五大地」と呼ばれる地域の人々が色とりどりに装飾した「櫂伝馬船」に乗り組み、松江市指定無形民俗文化財「櫂伝馬踊り」を勇壮に披露します。
ホーランエンヤと称する唄。音頭取の高らかなかけ声と共に、一糸乱れぬ漕ぎ手の櫂さばきは必見です。ホーランエンヤは、「豊来栄弥」「宝来遠弥」とも書かれ、五穀豊穣への人々の熱い願いが込められているそうです。 そしてこの祭には、各地区の唄の名人が出てくるので、その喉の競い合いを聞けるのも魅力のひとつです。
櫂伝馬踊りは、幕末の頃、日本海の漁村加賀村の船頭重蔵が、越後地方で習い覚えたものを、各地区が教えを乞いホーランエンヤに取り入れ、当時大変な人気を博しました。 参加する五大地の踊りは唄と同様に少しずつ違っており、踊りを見比べてみるのも面白いと思います。
踊り手にはそれぞれ役割があり、 舳先で凛々しく天を指す剣櫂、艫では四斗樽の上で上半身をそり返し、天空へ華麗に采を振り舞う采振りなど、その美しい動きは見る人々を魅了します。そこには、踊る喜びがあふれ、次代へ伝承する確かな誇りを感じます。
ホーランエンヤで着用される色鮮やかな衣装や化粧も見どころのひとつ。腰のしめ縄は相撲の横綱を小ぶりにしたもの。紅白、黄色など色とりどりの布地を巻付け、華やかさを表現しています。しめ縄の下の前掛けは、これも相撲の化粧まわしをまねたもので、華麗な刺繍がほどこされているのが特徴。手には、手甲、足には脚絆、わらじ、なぜか二足を重ねて縫い合わせ一足とされています。 剣櫂や采振りの化粧は、おそらく歌舞伎をイメージしたものです。
船は馬潟櫂伝馬が最大で、長さ約14.95m、幅3mを誇り、50名以上の要員が乗船できる大きさです。船の飾りつけも五大地でそれぞれ競い合い、目映いばかりの色彩が一大錦絵巻に花を添えています。
神事の幕開けとなる祭典。
城山稲荷神社の御神霊を陸行列で大橋川河畔へ運び、神輿船でさらに約10km離れた隣町の阿太加夜神社までお運びします。
人々の「五穀豊穣」を願い、約100隻、約1kmにも及ぶ大船団が、勇壮かつ華麗な櫂伝馬踊りを披露しながら大橋川を下って行きます。
7日間の大祈祷の中日に行われる神事。
阿太加夜神社の氏子が、安置された御神霊をお慰めするために、祈願の中日となる日に陸船をくりだして、櫂伝馬踊を奉納します。色とりどりに装飾された5隻の陸船を、ホーランエンヤの掛け声とともに櫂掻きたちが力強く曳き、船上では役者達が櫂伝馬船の船上の同じように勇壮かつ華麗に踊り上げ、道中の観衆を魅了します。境内では櫂伝馬踊りを奉納し、安置された御神霊をお慰めします。
7日間の大祈祷を終え、阿太加夜神社に安置されていた御神霊が、もとの城山稲荷神社にお還りになる神事。
「お稲荷様のお帰りだ」と再び櫂伝馬船を繰り出すと、初日の渡御祭とは逆の経路をたどり、絢爛豪華な船行列で御神霊のお供します。櫂伝馬は全身全霊最後の力を振り絞り、櫂伝馬踊りを奉納すると、最高潮のなか12年ぶりの盛儀は幕を閉じます。