上布野の街の入り口にある常夜燈。旧出雲街道の標識に沿って備後最北端の布野宿に、江戸時代のルートで入っていく。
瀬戸内と山陰を結ぶ広島藩最北の宿駅で、陰陽交易の要衝として早くから町が形成されていた。当時の道筋が市街地に残っている。
布野町出身の中村憲吉の書簡や歌集、掛け軸などを展示。アララギ派歌人の著作を集めたコーナーを設けた布野図書館が隣接する。
松雲寺には、1322年建立の五輪塔がある。銘のある五輪塔では広島県最古のもので、県重要文化財に指定されている。
広島藩が、1633年から藩内の街道を整備した。この時設置された一里塚跡があり、大きな松の切り株が残っている。
江戸時代に、三次藩士の「稲生武太夫」が、三次で出会った奇想天外な「物の怪話」の聞き書きが残されている。
三次は諸街道の分岐点。古い道標には「左ハひろしま、右ハ出雲大社」と書かれている。銀輸送隊は三次で第2夜を過ごす。
「頼山陽」の叔父「頼杏平」が、奉行であった頃に使った家。常に戦いに備え資材の準備を怠らないという中国の故事から名づけられた。