和歌の神の心に副うということは、和歌の道に精進することであろう。そして、和歌をもって神は啓示を垂れ、人は和歌をもって神に祈願することは、古来その例は多く語られている。したがって、神に頼むには神の心に副うべき和歌をもってしなければならない。この歌の場合、その如くして和歌をもって神に頼むのであるが(祈願を籠めているのであるが。勿論帰京の頼みであろう)、何の兆も見えない。神の心に副わないのであろうか。そうなれば、和歌といっても悲しいものだ、という意の歌と考える。神に和歌をもって祈願する。しかし、その祈願を聞き入れてもらえないということになれば、和歌もまた悲しみを催させるものとなってくるであろう。 |