柿本人麻呂が見た石見とは
人麻呂ゆかりの地をめぐる
下府廃寺塔跡 講師 神 英雄氏

「万葉集」第一の歌人である柿本人麻呂。 「歌聖」と称えられあまりにも有名なのですが、その生涯は今なお謎に包まれています。 宮廷歌人として活躍し、晩年は石見国庁へ官吏として赴任、そして石見国で死んだと言われています。
今回は石正美術館主任学芸員で、人麻呂研究家としても知られる神英雄氏をガイドに、石見の人麻呂ゆかりの地を訪ねました。
まず案内されたのは下府廃寺塔址。方形の土壇が残っており、かつてここには五重塔が建っていたとのこと。そしてこの付近に、人麻呂が赴任した石見国府があったと推定されているそうです。 人麻呂はこのあたりに住んでいたのでしょうか。そう思うと周囲ののどかな田園風景が、急に違った風景に見えてくるから不思議です。


石見国分寺 柱の礎石 石見国分寺跡(現・金蔵寺)

律令時代、畿内と諸国の国府を結ぶ官道として七つの幹線道路が整備されていました。石見地方にも古代の山陰道の跡が所々残っています。「人麻呂は石見国府と都をこの山陰道を通って往来した。」と神氏は説きます。当時の山陰道が、幅9m以上の道路で地形に関係なくほぼ真っ直ぐに伸びていたと聞き、技術の高さに驚きました。

国府には必ず国分寺・国分尼寺がありました。石見国分寺跡には現在金蔵寺が建っていますが、境内には国分寺の礎石が残っています。


大崎鼻灯台より高角山を望む

山陰道はこの石見国分寺の前を通って、さらに人麻呂の歌に詠まれた「辛の崎」の比定地の一つ大崎鼻付近を通ります。

岬の突端には白い石見大崎鼻灯台が立ち、青い空や海と美しいコントラストを作っています。展望台に立つと、東に都野津(つのづ)の海岸が弧を描いて伸び、遠く浅利富士とも呼ばれる室神山や、島の星山(高角山)、赤い石州瓦の家々が眼前に広がっています。人麻呂の石見での歌には「角(つの)の里」がよく詠われていますが、この角の里は江津市都野津であるといわれています。
(>> 人麻呂の石見相聞歌)

人麻呂は石見赴任中、依羅娘子(よさみのいらつめ)という妻と、短いながらも幸せな日々を過ごしました。
二人の愛の歌が「相聞歌」です。


都野津柿本神社 人麿の松

人麻呂ゆかりの地とされる都野津柿本神社。境内には柿本人麻呂の研究で名高い犬養孝氏の歌碑があります。樹齢800年以上とされた「人麿の松」もありましたが、残念ながら平成9年に枯死してしまい、今はその一部が保存されています。


古き良き日本の面影を感じられる石見
土床峠(旧山陰道)石畳
昔ながらの町屋(魚梅蒲鉾店) 雛祭り弁当

甍街道として近年注目を集める江津本町西端の「土床坂(つっとこざか)」東斜面には江戸時代の山陰道の石畳が残っています。

都へ向かう人麻呂からは、この峠を境に依羅娘子の里が見えなくなってしまいます。人麻呂はこの坂の上に立って里を振り返り、また坂を下りながら妻を想い、別離の苦渋をしみじみと味わったのではないでしょうか。人麻呂は遠く離れた依羅娘子の家を想い返し、自分との間を遮る山に「靡け」と、その想いを切々と歌に詠んでいます。

浜田市の魚梅蒲鉾店は明治45年創業で、懐かしい町屋の佇まいを残す老舗。伝統と技を生かした魚梅のかまぼこは、きめが細かく独特のコシとツヤを誇る味の逸品です。

今回は「魚梅」さんの好意で二階座敷を特別にお借りし、地元の有志が再現した雛祭り弁当をいただきました。昔は雛祭り弁当を作ってもらって、近所の家族や子どもたち同士、野遊びに出かけたのだそうです。一口サイズの押し寿司や旬の素材の天ぷらなど、手作りのあたたか味と熱意が伝わってくる美味しさでした。

魚梅蒲鉾店
島根県浜田市京町88
TEL:0855-22-1325


石正美術館

石正美術館は、浜田市三隅町出身の日本画家、石本正画伯の日本画壇における偉大な功績をたたえ、その貴重な作品を収蔵・展示しています。

今回講師をしてくださった神さんは、こちらの学芸員をされています。

石正美術館 [HP]
島根県浜田市三隅町古市場589
TEL.0855-32-4366

石見神楽

石見地方の漁師達が生み出した郷土料理です。旬の魚と野菜をすきやき風に煮込んで食べます。新鮮でおいしい魚がたくさん獲れる石見ならではの味です。


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