江戸時代、幕府は石見銀山を直轄支配し大森に奉行所(後に代官所)を置いた。現在は石見銀山資料館となっている。
街並み保存地区で最大級の商家建築である「熊谷家住宅」は、県重要文化財となっている。有力商人の地位や生活の変遷がわかる。
五百羅漢像には島根を代表する石材・福光石が使われている。これは淡い青緑色の軟質凝灰岩で、古くから石仏、灯篭、墓石に利用されてきた。
石見銀山の歴史や鉱山と暮らしの学習施設。ガイダンスコーナーや遺跡立体模型、遺跡クイズなど、より深く石見銀山を体感できる。
ここは輸送隊最初の休憩地で、当時は宿場町として栄え、「荻原千軒」と呼ばれるほどにぎわっていた。
銀の道はここから邑智郡に入る。この松の下は、道行く人々の休憩場所で、当時から「箱茂のお松」と呼ばれ親しまれていた。
第19代大森代官「井戸平左衛門」は、救荒作物として甘藷を導入し、多くの命を救った。周辺の町村に報恩碑が多く建てられている。
輸送隊は小原で馬替えと昼食休憩をする。ここは江の川舟運と銀山輸送路の交点となる要衝の地。本陣跡もある。