家には天明8年(1788)の普請帖が残され、この地方の18世紀後期を代表する民家として国の重要無形文化財に指定されている。
1633年頃幕府は主な街道約4km毎に、塚を作り松を植えさせた。一里松は平成4年松食い虫のため枯れ、今は切り株が残っている。
吉舎は街道の宿場として栄えたが、その面影を残す街並みが吉舎町市街の各所に残っている。
地元では、郷地蔵(ごうじぞう)さんと呼ばれている。銀の道はこの先で「笠岡ルート」と「尾道ルート」に別れる。
広石から越えると頼藤に出る。街道の交差点に三角柱の道標が残されている。三角柱の形を残したものは非常に珍しい。
旧街道に面しており、町の入り口となる場所に大師堂が建立されている。今でも、地域の人々の信仰が厚く、供え物が絶えない。
この門はもともと代官所の門であったが、角倉家が払い下げを受けたもの。すぐ近くの外門も見応えがある。
かつて役所の仕事を代行する「郷宿」と呼ばれる公事所があった。その名残を示す虫籠窓やうだつが残されている。