オオクニヌシの物語
オオクニヌシは若いころオオアナムヂという名でした。ヤカミヒメへの求愛に成功したオオアナムヂは、八十神というたくさんの兄弟の神さまたちに嫉妬され、殺されてしまいました。母神さまの願いで生き返えったオオアナムヂは、スサノオのいる根の堅州国へ逃げのびました。そこで出会ったスサノオの娘スセリビメと恋に落ちたオオアナムヂは、スサノオが出す試練をスセリビメと一緒に乗り越えました。そしてスサノオが眠っているすきに、スセリビメとともに、スサノオの生大刀、生弓矢、天の沼琴をうばって逃げました。目を覚ましたスサノオは二人を黄泉比良坂まで追いかけましたが、遠くに逃げてゆくオオアナムジにむかって「その生大刀、生弓矢で、兄弟たちを追い払い大国の主となれ」と叫びました。その通りに兄弟たちを追い払うと、葦原中国を作り、オオクニヌシとなりました。
「オオクニヌシの物語」ゆかりの舞台
1. 琴引山
『出雲国風土記』飯石郡の琴引山の条には、古老の言い伝えでは、この山の峯に窟があり、その内に天下造らしし大神の御琴があったので、琴引山という名となった、という由来が記されている。『出雲国風土記』ではオオクニヌシを「所造天下大神(天下造らしし大神)」「所造天下大神大穴持命(天下造らしし大神おおなもちのみこと)」と記す。ここに登場する「御琴」は琴の形の石と考えられ、山の中腹にある「大神石」と呼ばれる巨石の中にある琴型と石だと考えられている。山頂からは北方に三瓶山を望むことができる。琴引山の山頂をやや下がった巨岩の割れ目には琴弾山神社があり、大国主命と伊弉冊尊が祀られている。
住所:島根県飯石郡飯南町頓原
(関連サイト)
2. 那賣佐神社
出雲国風土記』神門郡滑狭(なめさ)郷条に、スサノオの娘のスセリビメの元にオオクニヌシが妻問いに通っていた時に、その社の前の磐石があった。その磐石の上がとても滑らかだったので、オオクニヌシが「滑磐石(なめしいわ)かも(滑磐石だなぁ)」と言ったので、滑狭郷という名となったという話がみえる。『出雲国風土記』ではスサノオは「須佐能袁」、スセリビメは「和加須世理比売」、オオクヌシは「所造天下大神」と記されている。『出雲国風土記』に登場する「奈売佐社」は現在の那賣佐神社に比定されているが、オオクニヌシが「滑磐石かも」と言った滑磐石は、現在の那賣佐神社の麓を流れる九景川の渓谷にある「岩坪」だと考えられている。
3. 御井神社
木俣神を祀る神社。『古事記』には、「ヤカミヒメは約束通りオオクニヌシと結婚して、出雲国にオオクニヌシに引き連れられてやって来たが、正妻のスセリビメを畏れて、生んだ子どもを木の俣に挟んで帰って行った。それで、この子を名づけて木俣神、またの名を御井神という」と描かれている。『出雲国風土記』出雲郷の「御井社」に比定され、近くには、「生井(いくい)」「福井(さくい)」「綱長井(つながい)」と呼ばれる井戸がある。
住所:島根県出雲市斐川町直江2605
(関連サイト)
4. 湯の川温泉
因幡から出雲にやって来たヤカミヒメが旅の途中で疲れを癒したという言い伝えのある温泉。宍道湖を望み、三方を山に囲まれた閑静な田園地帯にある。近くには出雲縁結び空港や荒神谷遺跡がある。
住所:島根 県出雲市斐川町学頭
(関連サイト)
イナバノシロウサギゆかりの舞台はこちらへ