ヤマタノオロチ退治


スサノオという泣き虫で、わんぱくな神さまがいました。姉神のアマテラスが統治する高天原で大暴れしたスサノオは、追い出されて出雲国の肥の河の鳥髪に降りて来ました。そこで老夫婦と娘のクシナダヒメに出会います。三人は、クシナダヒメがヤマタノオロチに食べられると泣いていました。聞けばオロチは、八つの頭と八つの尾があり、背中には木や苔が生えていて、長さは八つの谷をわたり、八つの山を越えるほどだと言います。クシナダヒメと結婚したい、と思ったスサノオは、オロチを退治することを決め、老夫婦に強い酒を造るよう命じました。スサノオは、クシナダヒメを櫛に変え、八塩折の酒という何度も醸した強い酒を用意して待っていると、ごうごうという山鳴りとともに、オロチが現れました。そしてオロチが用意した酒を飲み酔って眠むってしまうと、スサノオはここぞとばかりオロチを切り散らしました。その尾からは立派なクサナギの大刀(たち)が出てきました。その後、スサノオは出雲の国をめぐり歩き、「私はすがすがしくなった」と言った場所に宮を立て、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」と歌を詠みました。

「ヤマタノオロチ退治」ゆかりの舞台


1. 船通山

『古事記』では高天原を追放されたスサノオが降り立った「出雲国の肥の河上の鳥髪(とりかみ)」は、現在の奥出雲町にある船通山だと考えられている。「肥の河」は『出雲国風土記』に「斐伊川」「斐伊大河」「出雲大河」と記される現在の「斐伊川」で、「鳥髪」は『出雲国風土記』仁多郡横田郷条の「鳥上山」だと考えられる。現在の鳥上小学校付近は、昭和32年(1957)の近隣一町三村の合併以前には「鳥上村」という名であった。現在、船通山の山頂にはスサノオを祀る祠があり、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)出顕之地」の記念碑が建つ。毎年7月28日には、スサノオが降り立った神話にちなむ宣揚祭が行われる。船通山一帯は、比婆道後帝釈国定公園に指定されている島根県屈指の景勝地で、晴れた日には、三瓶山や大山、海の向こうに隠岐島を望むことができる。

住所:島根県仁多郡奥出雲町竹崎

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2. 鳥上滝

船通山中腹にある鳥上滝は、現在の斐伊川の源流の一つである。高さが約16mあり、巨岩の割れ目に沿って滝が落ちる。この滝を流れる水は島根の名水100選に選ばれており、船通山登山道の鳥上滝コースの美しい自然林のなかにある。

住所:島根県仁多郡奥出雲町竹崎

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3. 天が淵

木次町湯村の国号314号線の脇にある曲がりくねった斐伊川の淵には「オロチの住み処」という伝承が残っている。天が淵を「オロチの住み処」とする伝承は、大永3年(1523)に記された『雲州樋河上天淵記(うんしゅうひのかわかみあまがふちのき)』には「八色の雲気が常にこの淵に起こっていた」という伝承があり、『古事記』や『日本書紀』にはみられない新しい神話の解釈が確認できる。近くには『出雲国風土記』に「川辺に薬湯あり。1度入ると体が和らぎ、2度入ると万病を除く。」と記された出雲湯村温泉がある。

住所:島根県雲南市木次町湯村

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4. 須我神社

『古事記』にはスサノオが、ヤマタノオロチを退治した後、宮殿を造るための土地を探して出雲国をめぐった。そして須賀という地にたどり着いた時「私の心はすがすがしくなった」といい、その地に宮殿を造ることにした。宮殿を造った時に、その地の山より立ち上った雲を見て「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を(八雲立つ出雲の国を雲が守るように、わたしも宮殿のまわりに垣根を作って妻を守ろう。)」と詠った、と記されている。その神話のゆかりの舞台が須我神社である。須我神社の境内には「八雲立つ」の歌碑があり、「和歌発祥の地」と位置づけられている。神社から約2キロ北東にある八雲山中腹には巨岩の磐座があり、奥宮として信仰されている。

住所:島根県雲南市大東町須賀260

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5. 須佐神社

現在の須佐神社とされる『出雲国風土記』の「須佐社」がある須佐郷には「神須佐能袁(カムスサノオ)命の詔りたまひしく「此の国は、小さき国なれども国処なり。故、我が御名は、木石に著けじ」と詔りたまひて、即ち己命の御魂を鎮め置き給ひき。然して、即て大須佐田、小須佐田を定め給ひき。故、須佐と云ふ。(スサノオノミコトは「この国は小さい国だけれども、よい国だ。わたしの名は木や石には付けまい。」とおっしゃって自分の魂を鎮め置いた場所に、大須佐田、小須佐田に決めたので、その土地は須佐という名になった。)」と記されている。

住所:島根県出雲市佐田町須佐 730

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6. 八重垣神社

スサノオが「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」と詠った歌にちなむ縁結びで有名な神社。祭神は素盞鳴尊と稲田姫命。社伝では、ヤマタノオロチ退治の時に、スサノオがイナタヒメを八重垣神社の奥の院がある佐久佐女の森に隠したと伝えられ、また奥の院にある「縁占い」で有名な鏡の池からは、古墳時代後期の須恵器が発見されている。本殿の壁画「板絵著色神像(いたえちゃくしょくしんぞう)」は、13世紀に描かれたものと考えられ、境内の収蔵庫に保管される。

住所:島根県松江市佐草町227

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7. 熊野大社

ヤマタノオロチ退治をしたスサノオを祀る神社。『出雲国風土記』の「熊野大社」が記される意宇郡の出雲神戸には「伊弉奈枳(イザナキ)の麻奈子(真愛子)に坐す熊野加武呂(クマノカムロ)命と、五百津?々猶取らして所造天下大穴持命との、二所の大神等に依さし奉る。(熊野大社に鎮座する神はイザナキの愛しい御子が熊野の神と、鍬や鋤で土地を開墾して国作りをしたオオナムチ(オオクノヌシ)の神に食事を奉る土地である。)」とある。

住所:島根県松江市八雲町熊野2451

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8. 佐太神社

現在の佐太神社は『出雲国風土記』の「佐太社」とされる。秋鹿郡の神名火山(現在の朝日山)条には「謂はゆる佐太大神の社は、即ち彼の山の下なり。」とあり、佐太大神が祀られている。数ある神事の中でも9月24・25日の御座替祭に行われる佐太神能は、平成23年(2011)にユネスコ無形文化遺産に登録された。佐陀神能の中でも「八重垣」は、スサノオのヤマタノオロチ退治を演目の題材とした神楽として有名。

住所:島根県松江市鹿島町佐陀宮内73

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詳しい神話

詳しい『古事記』の神話はこちら

ヤマタノオロチ
第一章 ヤマタノオロチ退治
第二章 スサノオの子孫