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石見の神楽在月│江津市桜江町川戸奉納神楽を鑑賞

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2024年03月25日 公開

石見の神楽在月、2022年10月に行われた、江津市桜江町川戸、太詔刀命神社(ふとのりとのみことじんじゃ)での奉納神楽を鑑賞しました。石見神楽の原点である、六調子神楽。少し神話の深い部分にまで触れた記事となります。神楽の知識予習も兼ねてぜひご覧ください。
(江津市桜江町川戸│太詔刀命神社│川戸神楽社中/2022年10月8日取材:KAO)

静寂の中、神事が始まる

産業の町、江津市桜江町川戸。この町をいにしえより守るのは、太詔刀命神社(ふとのりとのみことじんじゃ)です。
主祭神は日本で初めて祝詞を奏上した神様で、「天の岩戸」に閉じこもる、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に対して行ったと。そのシーンで日本で初めて祝詞を上げたのは・・・そう、あの神様。その名も「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」。演目「岩戸」で登場する、髭を蓄えた鋭い眼差しの翁の神様です。
天児屋根命は春日神(かすがしん)ともいわれ、中臣鎌足などで有名な中臣氏および、公家の栄華を極めた藤原氏の祖神(おやがみ)とされています。そのような由緒正しき太詔刀命神社の、秋祭り前夜祭の奉納神楽に密着しました。
秋の夜8時、篝火(かがりび)が焚かれた境内に神主・総代・氏子(町の人々)が集まりはじめ、パチパチと焚かれる木の音と、コオロギの音の混じり合う静寂の中で、厳かに神事が始まりました。年に一度の秋祭り、町の収穫への感謝、産業への感謝、氏子繁栄への願いを込めて、主祭神や天神地祇(てんじんちぎ/八百万神)にお供えをし、宮司による祝詞奏上が行われ、献饌(けんせん)・撤饌(てっせん)に合わせた笛太鼓の音が哀愁を漂わせます。神殿祭は日本全国共有の儀式で、石見だけの特別なものではないのでしょうが、その違いは、この後に夜通しで行われる「石見神楽奉納」にあり、この原風景にこそ石見の心が存在するのです。
さあ、石見神楽が始まる! 年に一度、ふるさとの神社と町と、地元の舞子(=神楽の演じ手)が輝く夜。高鳴る気持ちを心に抑え、神事の静寂に身を佇ませ、時を待ちます。

石見神楽がはじまる。(四方拝・神降し)

静けさの中での神事が終わり、いよいよ地元川戸神楽社中の石見神楽が始まります。緑・赤・白・紫※の装束に身を包んだ4人の舞人が舞座に踏み入れ、幣を左右に振り囃子に身を乗せ歩を進めます。「四方拝(しほうはい)」が始まりました。
“集まりたまえ 四方(よも)の神たち”
歌を口ずさみながら輪鈴をリズムよく鳴らし、4人で息を合わせ、やがて袖を翻した八つ花が繰り広げられます。年に一度の神楽気分の到来の瞬間。神楽の音色が神社境内だけではなく、その下にある町にも鳴り響いています。
「石見神楽が始まった!」氏子達は神楽の音色を合図に身支度を始めて神社へと参拝に石段を上がるのです。
舞殿で演じているのは普段見る顔なじみの大人達。この日だけの特別な空間で真剣に石見神楽を演じ、その姿は氏子達の祭りの記憶に刻み込まれます。
東西南北を丁重に祓い拝むこの舞は、天地開闢(てんちかいびゃく)の時、国常立王(こくしょうりゅうおう)が生み出した春青大王(しゅんぜいだいおう)、夏赤大王(かせきだいおう)、秋白大王(しゅうはくだいおう)、冬黒大王(とうこくだいおう)の4柱に、埴安大王(はにやすだいおう)を加えた5柱を讃えるものです。※衣の色が東西南北、四方の神を現す。青=緑、黒=紫は同等とされる。中央は黄色で表現されるが、神秘に包まれるため、配役としてはこの舞では登場しない。

続いて、神殿に向き座する舞人。厳格な空気の中、重い胴の音が響く。先程の4人舞に比べ、ゆったりと腰を低く落とし、四方に丁重な拝みをつけながら舞われる「神降し(かみおろし)」は、四方を祓い清めた舞い座へ神様を降ろす(降りて頂く)、大切な舞です。
氏子が集まり始め、焚火越しに酒を酌み交わし観るこの年この日の石見神楽。青い鮮やかな装束には鶴・松と縁起物が刺繍され、氏子の弥栄(いやさか)への祈りが込められています。
“サイヨサイヨサアト、色のよきもの、柑子橘、濃い紫の袖にくれない、ハリヤトオ”
舞方も囃子方も一体となり、色鮮やかな大自然に感謝し、氏子の繁栄を祈り舞い上げます。そして、川戸の夜は、舞座に降りた神々による神話物語・武勇の舞へと移りゆきます。

石見神楽とは

賑やかで哀愁漂うお囃子の中で、豪華絢爛な衣裳を身にまとい演…

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展開される神話絵巻(磐戸・弓八幡)

四方を祓い、神様をお迎えする儀式舞(ぎしきまい)が終わった舞座では、面を被った神や鬼が豪華な衣裳を身にまとう、能舞(のうまい)が繰り広げられます。さあ、神話絵巻のはじまりです。

舞座では姫舞が始まりました。両手には鏡を持ち、落ち着いた足取りで威厳のある舞、日神(ひのかみ/天照大御神/あまてらすおおみかみ)から始まる演目「磐戸(岩戸/いわと)」です。
この日、コロナ禍の影響で夜明け舞が半夜舞へと変更になり、短縮形で行われた同演目、天児屋根命(あめのこやねのみこと)・天太玉命(あめのふとだまのみこと)の舞は省略され、続いて現れたのは天鈿女命(天宇津女命/あめのうずめのみこと)でした。巫女舞などを行う氏族、猿女君(さるめのきみ/後の稗田氏)の祖といわれ、芸能の神として崇められる神で、鈴と広矛を持ち麗しく舞を展開します。
やがて、天鈿女命の舞が色めき始め、楽屋の幕が引かれ舞座の電気(照明電球のスイッチ)が落とされます。煙幕が焚かれ、天手力男命(あめのたぢからおのみこと)が出現しました。閉じた岩戸の影に控えていたこの神は、神様の中で一番手の力が強いといわれ、天岩戸開きを企てた思兼命(おもいがねのみこと)の子とされる阿智氏の祖とされます。
川戸神楽社中の磐戸の舞は、岩に閉じこもった日神を紫の幣で表し、北方に立てられる独特のもの。その御幣に向かい短剣を持ち、左右に身を振りながら岩に近づきこじ開けようとする天手力男命。ようやく天の岩戸が開かれ、まばゆい光に世が包まれたところで終演しました。

~幕間におこなわれる御花披露も祭りならではの光景。氏子各家、商店・事業者らの名前が大きく響き渡る~

甲冑(かっちゅう)姿の、舞子が腰をじっくり落とした神舞を繰り広げ始めます。第15代応神天皇(おうじんてんのう)の武勇を讃える「弓八幡」。生まれながらの武神とされ、腕の肉が弓具の鞆(とも/ほむた)のように盛り上がっていたため、誉田別命(ほむたわけのみこと/ほんだわけのみこと)と名付けられ、京都の石清水八幡宮や、大分の宇佐八幡宮を筆頭に、全国に数多くの神社が分布されています。
応神天皇は供を連れ、異国より飛びきた第六天悪魔王(だいろくてんのあくまおう/仏道修行を妨げる魔)と激戦を広げます。石見神楽の元とされる、六調子神楽のゆったりとしたテンポ、腰をじっくり落とし、にらみ合い、伝統ある所作でお互いの攻防を繰り広げます。
「それに立ち向こうたるは、いかなる神にてましますぞ!」石見神楽の名文句があげられ、お互いを名乗り合います。畳に打ち付ける荒々しいザイ(鬼棒)の音、神は弓矢を構えしたたかに見据え、決戦へ。二神二鬼が身を左右に振りながら激しい攻防を見せ、神の矢が放たれます。鬼は勢いよく一回転に転げ幕へと入ります。拍手喝采、見事鬼を退治した神は、喜び舞を勇ましく舞納めました。

昨年コロナ禍で中止となり、3年振りとなる秋祭りの石見神楽。氏子にはどのように映っているのでしょう。町に威勢のよい太鼓、かけ声が鳴り響き、山にこだま響く一夜。川戸の祭りの夜に包まれ、奉納神楽終盤へと刻が進みます。

岩戸(いわと)

神楽の起源となる、天宇津女命の岩戸の前での艶やかな舞いが含…

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八幡(はちまん)

第15代天皇で八幡信仰の基とされる、応神天皇を讃えた神楽。神…

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守る。石見の祭りを。(鍾馗・天神)

奉納神楽の終盤の夜半、この年の神楽舞はコロナによる短縮形式で行われ、残るは2演目となりました。神殿を囲み、氏子が肩を寄せ、明るく輝く舞座を見つめる。ここで得るものは知識ではなく、その日・その時・その場所に居た、共感といえるでしょう。氏子然り、舞子然り。

ご当所、三浦宮司が歌い叩く大太鼓の太い音の中で、勇ましい顔つきの舞子が、一際豪華な衣裳を身につけ、茅の輪(ちのわ)と宝剣を携え、座上を舞う。演目「鍾馗(しょうき)」が始まりました。一般に鍾馗様といえば、「目がつり上がった、髭を蓄えた強面(こわもて)の面」と印象付いていますが、原型は素面です。
六調子神楽は、須佐之男命(すさのおのみこと)が大陸へ渡った時に鍾馗と名乗る様になったという意味合いが強調されて残されています。永代残るように記された古事紀・日本書紀を原点とする石見神楽は、その動き・歌・口上で、代々その由来を伝えていきます。須佐之男命由来の「鍾馗」は六調子舞では強調され、八調子舞では薄められています。
舞座が煙幕に覆われ、鍾馗が幕に一太刀浴びせると、驚いたように勢いよく鬼が現れました。この鬼は春夏秋冬年中を民の体の中に巣喰い、疫病を持って苦しめる疫神(えきしん)と呼ばれるものです。低い所作でじっくりいやらしく幕に見え隠れし、時に大見得を切りながら舞う疫神、奉納神楽の中の大演目です。客席からも、鬼にかけ声がかけられました。
鍾馗が太鼓の上に乗り、天蓋をゆさゆさ揺らす。鬼はその気配に背で気づく。神が降臨する様を表すこの行為を皮切りに、神と鬼の激しい決戦が始まります。見事、茅の輪を覗き宝剣で仕留めた鍾馗大神。氏子から大きな拍手と「よう舞(も)うた!」というかけ声がかけられました。一年に一度、氏子の病魔退散の為に演じられる大演目が終了します。

“我は北野の神なり也~” 演じ手自らの歌により始まった本、秋祭りでの最終奉納演目「天神」。都から左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)が、供(随身)を伴い太宰府へ赴く最中、心を翻し、藤原時平討伐のため都へ立ち戻る様が前半に描かれます。息を合わせた2人舞、じっくり腰を落とし、幕の奥の神殿に拝みをつける。供より打ち物(太刀・薙刀)を受けた道真が、時平の館の前で身を構え、激しい口上の掛け合いの末決戦となります。舞座が暗闇となる中、幕から花火が焚かれる石見神楽ならではの最高の演出が行われます。煙の中から現れし時平、迎え撃つ道真、背にお互い太刀を隠し持ち、低い所作で探り合います。時平は垂れガッソウといわれる長い髪の毛に顔を覆われ、その表情を窺い知ることができない為、道真に対しての悪役度合いがさらに高まります。
やがて勢いよく太刀が抜かれ、衣裳が切り替わり、「ハッ!」「ハッ!」「ハッ !!」とかけ声を発しながら、様々な舞いの手・技を魅せます。展開されるその所作・動作は、浜田八調子神楽、益田八調子神楽の代表的な所作と重なる場面がいくつも見られ、まさに石見神楽の原点、今に生きる字引を垣間見ることができました。
菅原氏は、天穂日命(あめのほひのみこと)が祖神、藤原氏は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)が祖神。対立する右大臣・左大臣の戦いは、太古の時代から長い年月を積み重ねたものとも想像できます。石見神楽で紐解ける古代史は計り知れません。
川戸の2022年秋祭りの最後の舞「天神」、名残惜しむように時平はなかなか倒れない。切られても立ち上がり、氏子のかけ声とともに白熱を帯びた最高潮の瞬間へ! そして、静かに道真を讃える舞上げと共に終幕しました。

祭りの夜が終わりました。神楽の片付けが始まり帰路につく氏子たち。一年に一度の秋祭りの、一晩の輝きに石見に暮らす人々は喜びを感じています。これが石見神楽本来の姿といえるのでしょう。

鍾馗(しょうき)

中国、玄宗皇帝の逸話を神楽化されたもので、石見神楽の中でも…

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天神(てんじん)

学問の神として全国に知られる菅原道真の神楽。左大臣藤原時平…

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川戸奉納神楽│宮司・代表者インタビュー動画(前編)


江津市桜江町の秋祭りでのインタビュー取材。太詔刀命神社(ふとのりとのみことじんじゃ)宮司 三浦 正典さん、川戸神楽社中 代表 堀 礼治さんにお話を伺いました。(10:50)。
※挿入映像 川戸秋祭り奉納、日貫大元神楽「綱貫」
(江津市桜江町川戸│太詔刀命神社│川戸神楽社中/2022年11月14日収録:聞き手:KAO)

川戸奉納神楽│宮司・代表者インタビュー動画(後編)


後編は、川戸舞の演目について色々質問させていただきました。(6:24)。
※挿入映像・画像 川戸秋祭り奉納、日貫大元神楽
(江津市桜江町川戸│太詔刀命神社│川戸神楽社中/2022年11月14日収録:聞き手:KAO)

川戸秋祭り奉納神楽まるごと動画


川戸神楽社中奉納神楽取材最終は、映像でまるごとご覧ください。45分のムービーですので、ビールを片手にゆっくりと・ゆったりと、六調子神楽を楽しんで頂ければと思います。奉納神楽なくして石見神楽が生まれることはありませんでした。アフターコロナの年が、石見神楽にとって幸ある年に! 心から願います(45:07)。
(江津市桜江町川戸│太詔刀命神社│川戸神楽社中/2022年10月8日収録)

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