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レツジョオハツノヒ

烈女お初の碑

浜田漁港の東隣の小高い丘に粟島(あわしま)公園がある。ここには大歳神社があるが、そこから粟島閣へおりる途中に歌舞伎「加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」の女主人公お初こと松田察(さつ)の碑がある。

浜田藩主松平周防守康豊の享保9年(1724)、浜田藩江戸屋敷で女の敵討ち事件がおきた。いわゆる鏡山事件である。康豊夫人は、津和野藩主亀井茲政(これまさ)娘で、輿入れに際し、老女落合沢野が付添ったが、その時、新たに大和郡山(こおりやま)の浪人、岡本佐五衛門の娘道もお側女中となり、道の召使いとして長州藩の足軽松田助八の娘察が召しかかえられた。

ある日、道が沢野の草履とも知らず、急用のためにはいてしまったことから、日ごろ快く思っていない老女沢野は、道を親や家名まであげつらって面罵侮辱した。芝居では、ここで沢野が道を草履で打ちすえる場面が加えられている。道は武士の娘としてのプライドから、死んで汚名をはらそうと、日ごろから妹のように思いながら召使っていた察に形見分けをして外出させ、その留守に自害する。不吉な予感がして引きかえした察の眼に血にそまった道の姿が入る。主人の無念をはらそうと、察は沢野を呼び出し、みごと仇を討ったのである。この事件で、察は忠誠心を賞賛され、道の後継者として藩主夫人に仕えることになった。

歌舞伎では沢野を岩藤、道を尾ノ上、察をお初として脚色し、天明2年(1782)江戸外記座で上演され、大当たりをとった。

21歳の薄幸な一生を終えた岡本道女の碑は浜田市田町真言宗亀宝山来福(らいふく)寺の境内にある。「藤の花長き短き世の中の無常の風に我が身ちりぬる」の辞世の歌が刻まれている。

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