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国賀海岸

ユネスコ世界ジオパークに登録された、隠岐を代表するダイナミックな景勝地です。
西ノ島町の西海岸一帯は、日本海の激しい海食作用を受けて大断崖・奇岩がそそり立ち、大自然の造形美に圧倒されます。
国賀の中心は何といっても摩天崖(まてんがい)で、海面から257mの高さに垂直にそそり立っています。一方、崖の上は一面緑の草地となっていて牛や馬が放牧され、そののんびりしたムードと大景観とが対照的です。
アーチ状の岩の架け橋「通天橋」や、長さ200mに及ぶ天然のトンネル「明暗(あけくれ)の岩屋」、荒々しい玄武岩の岩肌をみせる断崖「鬼が城」「金棒岩(かなぼういわ)」「龍宮城」「乙姫御殿」「観音岩」「天上界」などと名付けられた奇石があります。各景勝地を巡る遊覧船が運航しており、海上から眺める国賀海岸の景観は絶品です。

由良比女神社の創建は古く、仁明天皇の時代(842年)官社に預かったと記されています。平安末期には隠岐国の一ノ宮と定められるなど由緒も古く社格も高い神社でした。伝説によれば、この社の元は知夫里島の鳥賊浜にありましたが、西ノ島の由良へ移されてからイカの群れが来なくなり、由良へ集まったといいます。また、由良比女命が芋桶に乗って海を渡っている時、海に浸した手を鳥賊が引っ張ったので、そのお詫びの印に毎年由良の浜に鳥賊の群れが押し寄せるようになったと伝えられています。

隠岐島前の最高峰、西ノ島町の焼火山(たくひやま)(452m)の中腹にあるこの神社は、一条天皇の時代(1000年ごろ)の創建と伝えられます。もとは焼火山雲上寺(うんじょうじ)として焼火権現(たくひごんげん)が祀られていましたが、明治以降は焼火神社と改称されました。大時化(おおしけ)のとき祈願をこめると、神の導きの光明によって救われるという故事があるように、島民だけではなく諸国の舟人の海上信仰の対象となりました。
かなりの急坂を2kmほど登ると、大名の館を思わせるような宮司本邸と雲表閣(うんぴょうかく)にたどりつきます。老杉に囲まれた境内をしばらく行くと、大岩窟の中に半分身を隠すようにして岩屋造りの社殿が建っています。精巧を極める彫刻に飾られた社殿は享保年間(1716~1736年)の改築と伝えられています。
この神社の祭礼は7月23日です。昭和初期までは大変な賑わいでしたが、今ではすっかりさびれてしまいました。しかしこの祭礼で舞われる神楽は、隠岐神楽独特の荘重さをしっかりと伝えており、一見の価値があります。
神社一帯は暖地性、寒地性植物の群生地で、昭和45年(1970年)10月に県の天然記念物の指定を受けています。中でもその名が示すようにシダ類タクヒデンダは、この地にしか見られないものです。

体育館、テニスコート、多目的広場、プール、研修室
<利用手続>電話申込・申込書提出

<利用手続>申込書提出
研修室、和室、台所、シャワーランドリー完備

西ノ島町の美田(みた)、浦郷地区に残る送り盆行事の一つで、8月16日の早朝に行われます。
昔から隠岐の海辺の集落では、精霊(しょうりょう)送りをするとき、むぎわらで小さな船を作り、これに供え物をのせて流すという風習があり、これをシャーラ船と言っていました。
今から100~150年ぐらい前から、西ノ島では5~6人が乗れるような大型のシャーラ船を各集落ごとに共同で作るようになったといわれます。竹、むぎわらを組み合わせて船体をつくり、これに帆柱を立て、帆には色紙で作られた無数の盆旗をむすんでつけます。素朴なものではありますがが、その華麗さは人目をひきつけます。
盆の16日の朝、仏壇を片付けお供えものを下げて、精霊送りの準備をします。新盆(にいぼん)の家では、小形の帆かけ船を作って、お供えものをその船にのせる地区もあります。
盆唄とご詠歌に送られながら青い海をすべるように引かれるシャーラ船は、隠岐の夏の風物詩です。それには何か勇ましいムードもあり、本来の精霊送りの感傷を超えて、さわやかな真夏の行事として親しまれています。

後醍醐天皇に関する資料、黒木御所跡の伝承にまつわる文書、絵画など展示しています。  

【主な製品】
茶器、花器、カッパの置物

・陶芸体験:2時間程度
 ・手びねり  3,300円(税込)
 ・電動ろくろ 5,500円(税込)
 ・絵付     3,300円(税込)
・泥染め体験(地元赤土使用):2時間程度 3,300円(税込)

<※風流染(ふりゅうぞめ)の作品>
薬品は一切使わず海水で洗うことで色どめ効果をだしております。
焼火窯ではギャラリー&茶房「鬼板」を併設しております。

ビジネス・海水浴として最適。

名勝国賀海岸をめぐる豪快なクルージングや、ロマンチックなナイトクルーズで、想い出の隠岐体験を。

 黒木御所跡は港の東、別府港にのぞむ天皇山という小高い山の頂(いただき)にある。

 ここは、隠岐へ配流された後醍醐天皇が、脱出までの1年余りを過ごされた行在所と伝えられている。石碑の建つわずか数十坪の狭い台地は、天皇の不遇時代を偲ばせる。

 しかし、この伝承に反論して、明治末期ごろから学者の間で島後の国分寺を行在所とする説があらわれた。これは「増鏡(ますかがみ)」や平田市の鰐淵寺(がくえんじ)に残る僧頼源(らいげん)自筆の文書などの史料によって裏付けられるとして、国分寺が行在所遺跡の国の指定をうけた。しかし、天皇にまつわる伝承は、当地にしか残っていないことから、黒木御所跡も天皇の行在所として昭和38年(1963)8月に県の指定史跡となった。

 天皇山の登り口には碧風館(へきふうかん)という資料館がある。 これは昭和43年(1968)に建てられたもので、天皇に関する資料、黒木御所跡の伝承にまつわる文書、絵画などを展示している。

ヤスギハガネの最高級刃物鋼を原材料とし、刃物鋼の伝統的な技法である「鍛錬熱処理法」により製造されている。隠岐諸島を中心に広く流通し、その伝統ある鍛刀の技術は、刀のみならず魚ヤス、さざえヤスなど島内で使用される日常生活用具にまで巧みに表現されている。

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