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隠岐モーモードーム

隠岐の島町の隠岐国分寺外苑にある、全天候木造ドーム型牛突き場で、名物の牛突きを気軽に楽しむことができます。
隠岐の牛突きは、その昔、隠岐に配流となった後鳥羽上皇を慰めるために始まったいう、日本最古約800年の歴史を持つ独自の伝統文化です。
突き牛は2~6歳の雄の和牛で、横綱クラスになると体重が1000kgを超えます。角と角とを突き合わせ巨体がぶつかり合う様は迫力満点で、勝負は闘争心を失って逃げ出した方が負けとなります。

安来節演芸館は、どじょうすくいで全国的に親しまれている「民謡・安来節」を毎日堪能できる安来節の殿堂として、その発祥の地・島根県安来市にあり、日本一の庭園で有名な足立美術館に隣接しています。
桟敷席をイメージしたホールでは、生の安来節(唄と踊り)をお楽しみいただけます。どじょうすくい踊りの「ちょこっと体験コーナー」もあり、好評です。
その他、どじょう料理を中心としたお食事処や安来の名産品を扱うお土産処もあり、山陰観光の中継拠点としてご利用いただけます。

毎年8月14日から17日の4日間行われる神事です。起源は『出雲国風土記』意宇(おう)郡安来郷の条に記述される毘売崎(ひめざき)伝承に由来します。天武3年(674年)7月13日に、語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)の娘が、中海にのぞむ毘売崎の浜辺で遊んでいるとき、一匹の大きなワニに食い殺されました。娘のいたましい死を悲しんだ猪麻呂は、娘の遺骸を毘売塚山に葬り、敵討ちを誓って海岸で神々に祈りました。すると無数のワニにかこまれた大ワニがあらわれ、猪麻呂は手にした鉾(ほこ)で大ワニを刺し殺しました。そして腹をさいてみたところ、かみ切られた娘の足が出てきたといいます。
里人は娘の霊を慰めるため、ワニを殺した月の輪(鉾型の武器)をつくり、毎年8月14日から4日間、昼夜を問わず踊り続けたといわれます。この故事による風習が月の輪神事と称され、今日まで継承されています。
元禄12年(1699)ごろから乗相院(じょうそういん)別当が大念仏と称して大々的に神事を興行し、華麗な行列がくり出されるようになりました。この行列にそえる御神体が月の輪の型をした灯籠となりました。
神事の山車(だし)を先頭に笛、太鼓で練り歩き、子供たちが大声で「エンヤ・エンヤ・デゴ・デットーヤー」と掛け声をかけます。神事が行われる4日間に合わせ、やすぎ月の輪まつりや安来節全国優勝大会なども催され、安来は大いに賑わい、観光客も多数押し寄せます。

大田の彼岸市は、春と秋の彼岸の中日とその翌日におもに駅前から本通りの約1.5kmで行われます。苗木市をはじめ農機具、日用品、衣料、雑貨、玩具などの露店が立ち並び賑わう行事です。
彼岸市の起源は、円応寺の薬師市、代官山の稲荷神社の稲荷市などが、寛永年間(1624~1644)に統合されたものといわれています。昔は鍬市、竹市ともいい、春の彼岸には備後、出雲、伯耆方面から農機具を売りに来て、大田からは竹製の日用品や牛馬を市に出したといわれています。
市が立つのは春の彼岸に限られていましたが、明治27年(1894)大田の町制施行以来、秋にも開かれるようになりました。
春の彼岸市はちょうど野良仕事が始まるころ行われ、石見路の春は大田の彼岸市で始まると言われています。
秋の彼岸市はあとは取り入れだけという、ほっとしたくつろぎの中で行われます。

江戸期から続く夏祭りです。
地元の人がとても楽しみにしており、毎年多くの人で賑わいます。
益田祇園祭の歴史についてはホームページをご覧ください。

北前船を摸った模型の中に直径2mの大鍋を設置し、のどぐろで出汁を取り、浜田でとれた野菜や魚介、肉を入れた5,000人前の味噌鍋を配食しています。その他にも、市民による様々な出店や「シーサイド石見神楽フェスティバル」の同時開催しています。

隠岐郡西郷町下西の玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)で毎年6月5日の祭礼日に行われる神事です。行事の最大の呼びものは午後に行われる「馬入(うまいれ)れ神事」です。玉若酢命神社は隠岐国の総社で、隠岐の国守が隠岐中の神社にお参りするかわりに神々を玉若酢命神社に集めましたが、そのとき神々が馬に乗って参集されるということから「御霊会」といい、「馬入れ」の行事が行われました。
その後、祭礼は「田植式」に続いて「流鏑馬(やぶさめ)」の儀、神輿(みこし)の渡御(とぎょ)も行われます。

かつては島前島後から48頭の神馬(しんめ)が参集しましたが、元禄13年(1700)に島前から島後へ来る途中難破し、島前の人馬とも海中に没したことから、島後に限られ、現在では8頭の神馬が8地区から参加します。

それぞれ6人の引き手によって、8頭の神馬が随神門(ずいじんもん)前から社頭へ一気にかけぬけるさまは、もうもうたる砂煙、馬のいななき、引き手のかけ声、見物人の歓声があがり、この祭りの圧巻です。これは武良(むら)祭風流、水若酢神社の祭礼風流とともに隠岐三大祭の一つに数えられ昭和40年(1965)5月に県の無形文化財に指定されました。

出雲大社では、年間72回の祭祀がとり行われているが、その中で一般によく知られているものに、次のような祭りがあります。

【吉兆(きっちょう)さん】
 1月3日の朝、各町内毎に笛や鼕(どう)の囃子(はやし)を伴奏に「歳徳神」の文字をあらわした金襴の幟(のぼり)を担ぎだし、出雲大社八足門(やつあしもん)前に立てて、神謡をうたい、新年の喜びと、その年の繁栄・安全を祈願します。その後、町内をまわって福をまきます。県指定無形民俗文化財です。

【番内(ばんない)】
 同じ3日、厄年の男性が、厄落としのため、鬼の面をかぶり、金襴の神楽衣装を身につけ、青竹を叩きながら、出雲大社に参り、ついで町内をまわります。親類などの玄関をたたいて「悪魔払い」と大声で呼び、その家の厄(やく)をも払うといわれています。

【例祭(れいさい)】5月14日~16日
 俗に「大祭礼(だいさいれい)」といい、14日、天皇の勅使が代参し、松の馬場で的射祭、流鏑馬(やぶさめ)が行われます。昔ほどではないですが、見せ物、露店で賑わいます。

【涼殿祭(すずみどのまつり)】6月1日
 真菰(まこも)の神事ともいい、本殿の東方300m位の涼殿の地で行います。路上に真菰(まこも)をしいて宮司が踏み進んだのち、氏子が持ち帰って飲むと、腹痛に効くといいます。

【身逃(みにげ)神事(神事祭)】8月14日
 8月14日深夜(午前1時)境内の門はすべて開放され、禰宜(ねぎ)は本殿に参拝し、大国主命の御神幸(ごしんこう)にお供します。湊(みなと)社、赤人(あかひと)社に詣で、稲佐の浜の塩掻島(しおかきしま)で祭事を行い、国造館から本殿へ帰着します。この神事の途中、人に逢うと出直しをしなければならないため、町内の人々は早くから門戸を閉ざし、外出も避けています。

【神在祭(かみありさい)】旧暦10月11日~17日
 旧10月は全国的には神無月(かんなづき)といわれますが、出雲地方のみ神在月(かみありづき)といい、全国の八百万(やおよろず)の神々が集まって、男女の縁組などについて会議をされるといいます。大社では「お忌(いみ)祭」とも呼び、旧暦10月10日の夜、日本海から稲佐の浜へ流れ着く龍蛇(りゅうじゃ)(海柁)を、神の使者としてお迎えする「神迎え」が行われます。

 大社境内の東西の十九社が神々の旅社(たびしゃ)となり、西方五丁(約540m)にある上宮(かみのみや)が会議所となって神議(かみはか)りが行われます。この期間中、妨げがあってはならないと人々は物音を立てずひっそりと暮らすので「お忌祭」とこの土地ではよんでいます。

【献穀祭(けんこくさい)】11月22日~23日
 この年の、農作物の収穫を神に供え、豊作を祝う、新嘗祭(にいなめさい)が行われます。米、野菜、畜牛などの品評会その他の奉賛行事と、国民の祝日とが重なって賑わいます。

昭和56年から始まり、石見銀山が日本史上最大の規模を誇る銀山であったこと、また、この地が天領地であったことにちなんで「天領さん」と名づけられた毎年恒例の夏祭りです。

市内3会場で開催しています。
・天領さん(大田会場) 日時:8月上旬 会場:市民会館周辺
・天領さん(久手会場) 日時:8月4日 会場:久手港周辺
・天領さん(大森会場) 日時:8月下旬 会場:大森町並み交流センター

毎年4月下旬から5月上旬にかけて、つつじの最盛期に行われ、石見神楽、屋台村などで賑わいます。

陰陽10社中による豪快な神楽の競演大会です。
陰陽(島根県・広島県)10社中による、地域に深く根付いた伝統芸能です。神楽の競演大会です。

昭和62年、故郷に新しい文化を作ろうと地元の若者たちを中心に結成しました。郷土の偉人大梶七兵衛を賛えた曲「七兵衛太鼓」、故郷の山や川を和太鼓で表現した曲「HIRYU」など、ステージはすべてオリジナル曲で構成しています。
メンバーの約半分が女性で、毎週金曜日の午後8時~9時に古志スポーツセンターで練習を行っており、和太鼓を見学・体験したい人は誰でも参加できます。

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