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森鷗外のふる里 津和野で石見神楽鑑賞

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2024年03月25日 公開

森鷗外没後100年に際し鷗外のふる里・山陰の小京都 津和野を訪れ、鷗外の育った足取りや眠る寺院などを巡りました。夜は藩校養老館での夜神楽公演を鑑賞し、若々しい木ノ口(このくち)神楽社中の舞いを堪能。鷗外の育った津和野100年の歴史を感じとった旅レポートです。(2022年晩夏)

森鷗外の育った町 津和野を散策

SLの汽笛の響く町、津和野は旧津和野藩として栄えた城下町で、太皷谷稲成神社をはじめ永明寺などの有名な寺社も多く、古くからの町並みを残しています。森鷗外が育った町を、ゆかりの地を巡りながら散策しましたのでフォト紹介します。(夏らしいひんやりグルメも堪能しました!)

太皷谷稲成神社

津和野町にある日本五大稲荷のひとつ

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永明寺

総茅ぶきの本堂と庭園の紅葉が見事

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お食事処みのや

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森鷗外旧宅を訪ねる

森鷗外は明治・大正に活躍した夏目漱石と並ぶ文豪です。没後100年となる津和野町にある森鷗外旧宅を訪れました。
観光地として旅行者が行き交う津和野駅や太皷谷稲成神社などから少し離れ、人々の生活の匂い漂う町田地区にひっそりと佇む、森鷗外旧宅。そこは、今でも人が住み生活しているのかと錯覚するほど、明治初期の面影を残し、ありのまま大切に保管されています。
10歳まで過ごした生家を、ゆっくりと見学することができます。併設の森鷗外記念館もぜひ訪れてみてください。

Movie│森鷗外旧宅

晩夏の花の中に、ひっそり佇む森鷗外旧宅と、森鷗外を育んだ津和野の町並みを動画でご覧ください。(3:26)

 

森鷗外記念館

二生を生きた森鷗外が残した遺品の数々

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津和野夜神楽公演│木ノ口(このくち)神楽社中

津和野殿町通りの入口に情緒深く佇む藩校養老館は、森鷗外をはじめ、西周など数々の俊才が巣立った藩校として名高い史跡です。この度の夜神楽会場は、その館内の武術棟で、槍術・剣術が教えられてきた間として知られ、一種独特の雰囲気の中での石見神楽鑑賞を体験する事となりました。

上演するのは、木ノ口神楽社中(このくちかぐらしゃちゅう)。日原天文台のある枕瀬山の麓、木ノ口地区の氏神、高来山八幡宮を主体に活動する社中です。明治初期に発足された同団体と、森鷗外の過ごした幼少期は時代が重なります。もしかしたら鷗外も血気盛んな石見神楽を見て、若い血潮を燃やしていたのかもしれません。その情熱を受け取るかのごとく、若い団員による熱く激しい舞いが、養老館の中で目まぐるしく展開されました。

藩校養老館

西周や森鷗外など幾多俊才を輩出した津和野藩校「養老館」

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石見神楽演目│天神

-こち吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ-

平安朝、天穂日命(あめのほひのみこと)の後継である菅原家に生まれた菅原道真(すがわらのみちざね)は、歌人としても名が立ち、文武に優れ、光孝天皇・宇多天皇・醍醐天皇と三代の帝に朝廷で仕えるほどの秀才でした。

醍醐天皇に右大臣に命ぜられ、学者として異例の出世を果たす道真。だが、勢力の強い藤原氏族である左大臣藤原時平(ふじわらのときひら)の妬みによる、讒言(ざんげん)にあい、九州太宰府へと左遷され、その地で生涯を終えます。

後に藤原時平が落雷により命を落としたことから、雷が菅原道真の怒りである逸話が残り、道真の思いを果たす物語として天の神「天神」として神楽化され、古くより石見地域で演じ続けられています。

※随身 = 朝廷から太宰府へと道真を護衛する官人(又は析雷〈さくいかづち/別名 火雷大神〉とも)

石見神楽とは

賑やかで哀愁漂うお囃子の中で、豪華絢爛な衣裳を身にまとい演…

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石見神楽 演目紹介

石見神楽の演目には「儀式舞」と呼ばれる神様へ祈りを捧げる舞…

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天神(てんじん)

学問の神として全国に知られる菅原道真の神楽。左大臣藤原時平…

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木ノ口神楽社中│石川代表インタビュー【前編】

津和野の町の夜を彩る石見神楽公演。この日公演を担当された木ノ口神楽社中代表の、石川慎吾さんにお話しをお伺いしました。その前編をぜひご覧ください。(6:17)

木ノ口神楽社中│石川代表インタビュー【後編】

木ノ口神楽社中代表の、石川慎吾さんにインタビュー。後編は、コロナ禍の中での活動や、観光、津和野石見神楽の特徴など興味深いお話しも聞かせていただきました。ぜひご覧ください。(4:53)

【木ノ口神楽社中│天神 ダイジェストMovie】

穏やかな菅原道真の舞いと、火花を散らすような藤原時平との決戦の模様を、ダイジェスト動画でご覧ください。(8:00)

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