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ヨウメイジ

永明寺

総茅ぶきの本堂と庭園の紅葉が見事

曹洞宗の古刹で山号を覚皇山(かくおうざん)といいます。応永27年(1420)津和野城主吉見氏五代頼弘が創建したもので、開山は道元の法孫月因和尚です。吉見、坂崎、亀井の歴代の城主の菩提寺として栄え、江戸時代には末寺70か寺、曹洞宗の石州本山と称されました。また、修禅の道場として多くの雲水たちが修行に励んでいました。
境内地は、国史跡「津和野藩主亀井家墓所」の一部として指定されています。参道を登るとケヤキの棟門づくりの豪壮な山門があります。これは津和野城の総門を移したものといわれています。
茅葺き屋根の本堂は安永8年(1779)、庫裡(くり)。鐘楼(しゅうろう)は安政6年(1859)に再建されたものです(県指定有形文化財)。本堂、書院の庭は明治時代につくられたものですが、池泉観賞式の本格的なものです。春の新緑、夏の水蓮、秋の紅葉と四季おりおりの風景が楽しまれ、石見地方でも屈指の名苑です。
山門を入った左手の墓地に森鴎外の墓があり、遺言どおり「森林太郎墓」とだけ刻まれています。本堂左手の小道を登ると悲運の勇将坂崎出羽守成正の墓があります。質素な自然石に、幕府をおもんばかってか墓碑銘には「坂井出羽守墓」と名を変えてあります。さらにその上手には筆頭家老多胡家の墓、また『井伊大老の死』などの名作を残した同町出身の劇作家中村吉蔵の墓もあります。
寺宝には室町初期写の「絹本著色十六羅漢像図」(県指定)、兆殿司(ちょうでんす)の涅槃(ねはん)像、初代亀井茲矩木像などがあります。

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