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小泉八雲旧居はじめ武家屋敷風の家が掘に面して軒を接し、松江で最も城下町らしいたたずまいを残している。八雲記念館前から明々庵入口に至る延長約500mは、昭和48年(1973)に松江市の「伝統美観地区」に指定され、保存が図られている。 このあたりはかつて500石から1,000石取りの中老格の藩士の屋敷が並んでいたところで、塩見縄手の名称はこのほぼ中央に、松江藩中老で町奉行の塩見小兵衛の屋敷があったことに由来する。縄手とは平地などに細く延びる一本道のこと。現在は大型バスも交差する舗装道路だが、古くは駕籠か大八車がせいぜいの縄手道だった。 堀ぞいに残る巨松の並木は当時のもので、垂れ下がった枝に合わせ歩道を低く設けるなど心遣いがにくい。 ところでこの通りの背後の赤山と堀をへだてる城山は、かつてこのあたりを鞍部とした地続きの山であった。慶長年間、堀尾吉晴が松江城を構築するさい、ここを幅約90mにわたって切り割り、城山を独立丘陵にするとともにここに内堀をうがち、その土砂で田町(たまち)などの沼沢地帯を埋め立てた。この掘削(くっさく)は慶長12年(1607)から1年あまりで完成させた。 なおここに中老格の家中屋敷町ができ上がったのは寛永15年(1638)の松平直政の入府以後のようである。
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