お気に入りリスト
ラクザンガマ

楽山窯

楽山焼は、松江市西川津町の楽山公園の一角にある窯元です。楽山は松江藩二代目綱隆以来、藩主の別荘地があったところで御山(おやま)ともいわれ、楽山焼は御山焼とも呼ばれました。
ここの窯は、松江藩祖の松平直政のころに開かれたと伝えられますが、楽山焼の名は三代目綱近が、長州毛利氏に依頼して、延宝5年(1677)倉崎権兵衛重由を招いて以来のことです。権兵衛は朝鮮からの帰化人、李敬(初代高麗左衛門)の高弟で、伊羅保写(いらぼうつし)、高麗写などを得意としました。松江市西川津町市成(いちなり)にある熊野神社の花瓶一対は、権兵衛が献納したものだといわれます。
天明6年(1786)楽山窯はいったん途絶えましたが、七代藩主松平治郷(不昧)は、長岡住右衛門貞政を起用し、楽山窯を再興しました。住右衛門は茶陶にすぐれ、楽山焼五代目となりました。六代目空斎以後は茶陶のほか京焼風の色絵陶器をさかんに作り、その後九代空味など多くの名工を生み出しました。
現在は、楽山焼十一代長岡空権(ながおかくうけん)から、長岡空郷(ながおかくうきょう)が襲名し十二代長岡住右衛門として伝統を守っています。茶陶、ことに伊羅保(いらぼ)茶人の間で愛好されています。
昭和59年(1984)10月島根県ふるさと伝統工芸品に指定されました。
平成12年12月長岡空権、島根県指定無形文化財となりました。

近くの観光スポット

近くの美肌スポット

PR