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シマムラホウゲツヒ

島村抱月碑

「カチューシャ可愛や 別れのつらさ」と松井須磨子が「復活」の劇中歌として歌うカチューシャの唄は、大正の初期一世を風靡(ふうび)した。女優松井須唐子を育て、カチューシャの歌を作詞した島村抱月は、明治から大正にかけて、日本の新劇運動に大きな功績を残した人物である。

抱月(瀧太郎)は明治4年(1871)1月10日那賀郡小国村(現金城町小国)に生まれた。家が貧しかったため、幼くして浜田に出て薬局生や裁判所給仕などをしながら夜学に通い、漢文、英語を学んだ。20歳のとき上京、裁判所時代の上司島村文耕の養子となり、佐々山から島村姓にかわった。文耕から学資を得た抱月は、東京専門学校(現早稲田大学)に入学し、英文字を修めた。卒業後はドイツ、イギリスに留学し、ヨーロッパの演劇と戯曲文学の研究に努めた。帰国して早稲田大学教授となり、自然主義文学運動の旗手として、評論、戯曲、翻訳など盛んな文学活動のかたわら、文芸協会や松井須磨子との芸術座の結成など、演劇活動も目ざましかったが、不幸にも肺炎のため大正7年(1918)11月5日48歳で東京で没した。その2か月後、彼を慕って松井須磨子が自殺したことはよく知られている。「浜田港とは懐かしき名なり、予が小学時代と独学時代の記憶はすべて浜田にあり」と故郷を懐かしんでいる。昭和29年(1954)浜田の城山公園内に記念碑が建てられた。

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