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ハマダジョウアト

浜田城跡

浜田市殿町の市街地中央部に位置する標高67mの丘陵上にあり、別名亀山城といいます。元和5年(1619)に初代浜田藩主となった古田重治によって築城されてから、慶応2年(1866)長州軍によって落城するまでの247年間、浜田藩(5万5,000石)の本拠地でした。

浜田城の北側は断崖で日本海にのぞみ、南から西にかけては浜田川の流れが堀の役割を果たしていました。東を石垣で仕切った城内には三層の天守があり、本丸、二ノ丸、三ノ丸で構成され、大手門が内掘に架かった橋でつながっていました。元和6年(1620)2月に着工し、元和9年(1623)までには城及び城下が整いました。城下は、紺屋町・新町・蛭子町・片庭町・門ケ辻町・桧物屋町・辻町・原町から成り、「浜田八町」と呼ばれました。

築城主の古田氏は2代重恒に嗣子がなかったため改易されました。替って慶安2年(1649)播磨国宍粟から譜代大名松平周防守康映が入りました。そのあと宝歴9年(1759)に本多中務大輔忠敞が入りましたが、10年後の明和6年(1769)に再び松平周防守と交替しました。天保7年(1836)に竹島事件で松平周防守家が棚倉に移ると、上州舘林から松平右近将監斉厚が入りました。慶応2年の第二次幕長戦争で大村益次郎率いる長州軍と戦い、敗れたため、再興を期して自焼退城し、岡山県の津山にあった飛地に移りました。一方浜田は長州あずかり地となりました。

明治5年(1872)には浜田地震によって天守が倒壊し、現在石垣を残すのみです。

なお、二ノ丸跡には日清戦争に従軍し、のどに敵弾をうけながら、突撃ラッパを吹き続けたという歩兵第21連隊出身の木口小平の像や金城町出身で劇作家の島村抱月の文学碑、司馬遼太郎氏による碑文がある浜田藩追懐の碑などがあります。桜の名所としても有名で、市民の憩いの場となっています。昭和37年(1962)に県の史跡に指定されました。

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