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ホンミョウジョウアト

本明城跡

本明城は乙明(おとあけ)城、福屋城とも呼ばれ、江津市と浜田市金城町との境界になっている本明山の山頂にありました。山の高さは417m、山頂の長さ60m、幅5~9mの平地が城跡です。東方の丘上には出丸がありました。山の8合目付近の不動尊堂付近に湧泉があり、軍用に供せられたものと考えられます。登城の道は聖岩、深山、古釜よりの3道があるがいずれも急峻です。本丸跡付近には金比羅宮や権現社が祀られています。
天福2年(1234)益田兼高の第3子兼広が阿刀、福屋の地を得て福屋氏を名のり、この城を築きました。南北朝時代には南朝方に属し、康永元年(興国3年・1342)五代兼景のころ、上野頼兼らの攻撃を受け一度落城しました。永禄4年(1561)十二代隆兼は尼子氏と結び、吉川経安の福光城を攻めましたが毛利氏の反撃を受け、翌5年(1562)川上(かわのぼり)の松山城とともに落城し、福屋氏は十二代329年で滅亡しました。

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