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源助供養碑

松江大橋架橋の際、人柱として生き埋めになったという源助を供養するため、昭和14年(1939)に建立された石碑です。
慶長12年(1607)、堀尾吉晴が富田(とだ)(安来市広瀬町)から松江へ移城するとき、架橋工事が難航して完成しないため、人柱として足軽源助を川底深く生き埋めにしたと伝えられます。しかし、確かな証拠もなく、江戸時代に幾度か架け替えられた大橋工事中に犠牲となった人々が、源助の名に集約されて、永く巷間に伝えられたものと考えられます。
源助供養は大正8年(1919)から源助地蔵祭りとして毎年8月23日、24日の両日、市内の望湖山龍覚寺で行われています。
なおこの碑の隣には、昭和12年(1937)架橋された、現在の松江大橋工事中に事故死した深田清技師の殉難碑も建っています。深田技師の死も昭和の人柱といわれ、源助伝説に真実味をおびさせました。

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