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月照寺

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 松江藩主松平家の菩提寺で初代直政から九代斎貴(なりたけ)までの墓がある。歓喜山月照寺(浄土宗)。
 もともとここには洞雲寺という禅寺があったが、寛永15年(1638)信州松本から移封されて来た松平直政が生母月照院の菩提を弔うため寛文4年(1664)大々的に改修、月照寺と改めた。
 享保元年(1716)外中原から出火した火事で月照寺も類焼したという記録があるが、本堂が再建されている。明治維新に本堂は取り壊されたが墓所だけは廟門ともどもほぼ完全な姿で残り、その閑雅なたたずまいは小泉八雲も激賞した。

 

 一番左手にある初代直政の墓所は周囲に堀をめぐらした最も大きなもの。また山門正面にある七代治郷(はるさと)(号不昧:ふまい)の墓の廟門は不昧が愛した名工小林如泥(じょてい)の作になるもので、飾りのブドウの透かし彫りなどが見事。
 廟門はそれぞれ時代時代の特徴を生かしているほか、その時々の藩の財政状態も反映しており、その点でも興味深い。
 境内北側にある大きな亀の背に乗った石碑は、不昧の父に当たる六代宗衍(むねのぶ)(天隆院)の寿蔵碑。碑文は当代随一の奇人といわれた松江藩医家で儒学者の天愚孔平(てんぐうこうへい)(荻野喜内)の撰。この亀は夜な夜な町へ散歩に出て、人々を驚かしたと『知られぬ日本の面影』の中で、ハーンはのべている。
 材料の石材は松江の豪商であった岡崎屋次郎右衛門が、奇計をもっていまの平田市久多見町から宍道湖と堀川経由でイカダで運んで来たものという。その時、月照寺山門近くまで、わざわざ掘削した薬研堀の一部が残っている。

 

 山門入り口には不敗を誇った松江藩お抱え力士雷電(らいでん)の手型を彫り込んだ雷電為右衛門の碑がある。山門前に宝物館があり、代々の藩主たちが同寺に寄進したゆかりの遺品の数々が展示されている。また茶人不昧をしのんで、不昧の命日の4月24日に近い日曜日に、茶筅(ちゃせん)供養が行われている。
 6月になると、約3万本ものアジサイが咲き乱れ、通称 “あじさい寺” と呼ばれている。

 

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