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カンゲツアン

観月庵

 天台宗延暦寺の末寺で山号は松高山願応寺。松江開府の祖堀尾吉晴が安来の清水寺大宝坊から僧賢清(けんせい)を招き、松江城鎮護の祈願所として開山したものである。もともと賢清は、吉晴が亡き豊臣秀吉のために西川津の市成(いちなり)に建てた豊国神社の神宮寺、松江山願応寺の別当職として招いたものだが、豊臣氏滅亡後豊国神社は取り壊された。賢清の才幹を惜しんだ吉晴が当寺を建立、30石をあてがったのが始まり。のち入国した松平氏もここを国家鎮護の祈願所とし、寺格も別格であった。最初寺町にあったが、松平三代藩主綱近の代に火災に遭い、いまの北田町に移して再建した。松江城の城山稲荷神社の縁起にまつわる新左衛門狐の話(松平直政の信州松本からの移封に先立って新左衛門という狐が松江入りし、ひそかに直政の警護に当たった)とか、ここの小豆とぎ橋で謡曲杜若(かきつばた)を謡うと怪異が起こると『知られぬ日本の面影』で紹介されるなど伝説も豊富。

 なお小豆とぎ橋は同寺の後方にあったもので、いまはない。境内には三斎流の茶室・観月庵や芭蕉堂などがある。観月庵はハーンがお茶の手ほどきをうけたところ。芭蕉堂は江戸末期から明治にかけ、芭蕉の跡をしたって奥州を旅した松江天神町出身の俳人山内曲川(やまのうちきょくせん)が建てたもので安置される芭蕉像は荒川亀斎の作である。

 大正 11年(1922)2月から翌12年9月まで、野鳥研究家として知られる詩人中西悟堂が住職をしていたことがある。悟堂はここを宿舎に殿町の松陽新報社に通い、学芸記者のかたわら当寺を本拠として詩の同人誌『極光』を創刊した。装丁恩地孝四朗、同人は佐藤惣之助、野口米次郎、萩原朔太郎、辻潤など当代一流のメンバーで、2号以降発行所は東京に移ったが、悟堂は『極光』の終刊までここで編集の一切を行ったという。

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