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タカタジンジャ

高田神社

高田大明神ともいう。南北朝末期の至徳年間(1384~1387)に、佐々木隠岐次郎左衛門の娘「小花姫」に神託があって、高田山頂の鳴沢の池からご神体が現れたという。春はこの神社の祭礼に神輿(みこし)をねったり、舞楽が演じられたりして、多数の見物人が集まり賑わった。

高田神社の右手の小山には小花姫の乳母の墓があり、子孫に当たるという佐々木氏がこれを祀っている。

一方、京都四条、金蓮寺の浄阿上人がこの社に泊ったとき、夢の中に「花にいま鳴沢池の蓮(はちす)かな」という発句の神示をうけたので上人は、都で二条良基など公卿、僧侶などの歌人にたのんで、百首和歌と千句連歌をつくってもらい、至徳4年(1387)高田神社へ寄進した。千句連歌はすでに失われたが、百首和歌は冒頭に関白二条良基の「春寒き山は高田の高ければ雪の下より立つかすみかな」という一首で始まり、現在でも高田神社の社宝(県指定文化財)になっている。

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