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津和野城跡

標高362mの霊亀山上に築かれた中世の山城跡で、津和野の町を展望するのに最適の場所です。なだらかな青野山の山すそに広がる家並みと、その中をゆるやかに流れる津和野川を一望できます。城跡の石垣が朝霧に浮かぶ姿は、まるで「天空の城」です。紅葉の時期もおすすめです。
太皷谷稲成神社の参道からリフトを降りて徒歩20分で頂上に到達します。現在は建造物は何もありませんが、石垣はほぼ完全な形で保存されており、石組の堅固さ雄大さは比類のないものです。
吉見氏14代319年間、坂崎氏1代16年間の後は、明治維新まで亀井氏が11台225年にわたり城主として 在城しました。貞享3年(1686)に落雷のため焼失し、その後再建されることもなく、明治7年(1874)に石垣を残して解体されました。

小京都とも呼ばれる津和野は、閑静な山あいにある隠れ里のような城下町です。
津和野の中でも、殿町あたりは最も古いたたずまいを残しており、白壁の土塀に面し通りの掘割には大小無数の鯉が群れ泳ぎ、白や紫の花菖蒲の花が咲き誇る時期は特に美しく、まるで優雅な歴史絵巻物を見るようです。
カトリック教会、藩校養老館跡、郡庁跡、津和野藩家老多胡家表門など多くの史跡が集中していて、また、郷土料理の店やおしゃれなカフェ、雑貨・みやげ品店なども近辺にあり、津和野のシンボルとなっています。
小路を少し入ってみると昔のままの白壁の土蔵の商家が残っていて、古い城下町の落ちついた暮らしぶりにふれることができます。
津和野は、文豪・森鴎外や哲学者・西周、画家・安野光雅などを生み出したところであり、ゆかりのスポットも見どころです。

 

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津和野の町から城山の方向を眺めると、朱塗りの鳥居がぎっしりと並んだ参道が見えます。約1,000本の鳥居のトンネルを300mほど登った先に太鼓谷稲成神社があります。
安永2年(1773)、津和野七代藩主亀井矩貞が城の鎮護と領民の安穏を願って、城山の太鼓谷に京都伏見稲荷から斎き祀ったのが始まりです。
東北の竹駒稲荷、関東の笠間稲荷、近畿の伏見稲荷、九州の祐徳稲荷とともに日本五大稲荷の一つに数えられています。一般には稲荷と書きますが、ここは全国でも珍しく「稲成」と書きます。稲成としたのは願望成就のためといいます。祭神は宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の2神です。
年間の参拝者は県内の神社で出雲大社に次ぐ第2位です。

 

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明治の文豪・森鷗外の生誕地、島根県津和野町に建つ資料館です。
『舞姫』や『高瀬舟』を始め、多くの作品を著した森鷗外ゆかりの品々や、直筆原稿など貴重な資料が一般公開されており、北側には「森鷗外旧宅」も残っています。
軍医と文学者というふたつの人生を生きた鷗外の、10歳の上京から60歳で生涯を閉じるまでを豊富な資料で紹介するほか、多感な時期を過ごした津和野時代を振り返る構成になっています。記念館の吹き抜けのロビーからも、中庭越しに旧宅を見通せる設計になっています。
また、鷗外の命日(7月9日)や生誕日(1月19日)頃には、記念館事業として記念講演会やフォーラムなども盛んに開催されています。

 西周旧居と津和野川をへだてて向かいあっている国指定の史跡です。森家は代々津和野藩の藩医で、50石どりの家柄でした。鴎外(林太郎)は文久2年(1862)1月19日この家で生まれ、明治5年(1872)11歳で上京するまでここで過ごしました。
 鴎外がこの旧宅に住んだのは、わずか11年であり、その後再び津和野も、この家も訪れることはありませんでした。しかし遺書に記された「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」という言葉を見ると、彼自身にとって、この家での幼き日々の生活がいかに重要な意味をもっていたか明らかです。
 この旧居は森家の上京後人手に渡り、一時は他所に移築されていたましたが、昭和29年(1954)鴎外33回忌にあたり、津和野町がこれを買い戻し、現在地に復元しました。
 この旧居も建築以来130年、老朽化が著しいため、昭和59年(1984)秋に解体、全面的に修理されました。昭和44年(1969)に国の史跡に指定されています。 

国際アンデルセン賞を受賞した津和野町出身の画家・安野光雅の作品を収納する美術館です。2つある展示室では、絵本だけでなく風景画や本の装丁、ポスター、エッセイなど幅広い分野で活躍する安野光雅の作品を約120点展示しています。美術館では、安野さんの自宅アトリエ(再現)やプラネタリウムのほか、昭和初期の小学校教室を再現した「昔の教室」や図書室があります。なおプラネタリウムでは安野さんがふるさと津和野に対する思いを語っており、上映プログラムでは、津和野の四季折々の星座や安野さんの絵本「天動説の絵本」を鑑賞する事が出来ます。

〝山陰の小京都〟と名高い津和野。約150年前の人々の暮らしを描いた「津和野百景図」の風景は今も城下町に息づいており、そのストーリーは「津和野今昔~百景図を歩く~」として日本遺産に登録されています。気軽に入れる日帰り温泉や落ち着いて休める旅館があり、温泉と共に歴史と文化にたっぷり浸れます。

堀家は代々、鉱山経営を家業としてきた家である。江戸時代には大森銀山代官の下で、笹ヶ谷を中心とした天領を支配し、地元の笹ヶ谷鉱山をはじめ近隣の鉱山の多くを経営した。長い白壁の続く壮大な屋敷は天明8年(1788)、本邸の門は享保18年(1733)の建築である。
庭園は鉱山王と呼ばれた十五代堀藤十郎が、明治30年(1897)庭師を大阪から招いて作庭したものである。裏山である緑山を借景として取り入れ、池を中心に石灯籠、庭石が見事な配置の妙をみせている。また、池泉の護岸石組や岩島などは、明治期のものとしては技術的にすぐれたものである。イロハカエデを主体とする植栽も見事なもので、紅葉のころは麓から山頂まで3段階に分かれて色が変わる三段染めが見られる。全体の構成は明治の自然主義的意匠となっており、旧家の山荘の庭園にふさわしい落ちついた雰囲気がよく出ている。

いのしし料理とあゆ料理をご提供する、「しまね故郷料理店(こだわり郷土料理のお店)」です。
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 国道9号線沿いに、津和野の町に入る目印のように大きな朱色の鳥居が建っています。コンクリート製で高さは18m、柱の直径2m、扁額の大きさはおよそ6畳敷分もあるといいます。昭和43年(1968)11月、北九州市の人が太皷谷稲成神社に寄進したものです。

江戸時代に笹ヶ谷銅山の年寄役を務めた名家・堀氏の名園で、四季折々の風景が美しく、燃えるような真赤な紅葉は見事です。

 

津和野の町の方から、旧畑迫病院や堀庭園に向かう道路が、工事に伴い一部ですが全面通行止めになります。
規制期間:令和4年10月24日(月)~12月9日(金)
≫詳細はこちら

 

城山の南山麓、津和野川のほとりにある鷲原八幡宮は、初代の津和野城主吉見頼行が鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請したものです。嘉慶元年(元中4年、1387)二代頼直の代に現在地に社殿が建てられ、現在の社殿は永禄11年(1568)十一代正頼の時代に改築されたものです。この神社は津和野城の守護神として吉見、坂崎、亀井の歴代城主の崇敬があつかったです。

楼門、拝殿、本殿を一軸上に置き、いずれも丹(に)塗りの社殿は昭和47年(1972)3月、県指定の文化財となりました。

楼門本体は入母屋造り茅葺きで、壮麗な建築であり本殿は三間社流造り、柿(こけら)葺きです。大内文化の影響を受け室町時代の神社建築様式をとどめています。平成23年11月、国の重要文化財に指定されました。

社前の広場は鶴岡八幡宮の馬場を模した流鏑馬(やぶさめ)馬場で、原形を残す貴重なものであり、県指定史跡になっています。現在、境内一帯は鷲原公園として、サクラ、ツツジの名所となっています。社殿の裏山には樹齢約600年の大杉が大空に突立しています。 

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