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サダシンノウ

佐陀神能

<国・県指定別>重無民

<指定年月日>昭和51年5月4日

<備考>佐太神社9月25日例祭他

鹿島町の佐太神社の祭礼の一つに、9月24日夜の御座替(ござがえ)神事があります。その当日から翌日にかけて行われるのが佐陀神能で、今日、その内容は、直面(ひためん)の執物舞(とりものまい)による「七座」と、祝言としての「式三番」、着面(ちゃくめん)の神話劇の「神能」の3部からなります。この3部構成の舞を佐陀神能と呼ぶようになったのは、氏子有志による佐陀神能保存会が発足した大正年間からです。

七座は、神事ないし祭礼そのものであるため、御座替神事の夜に行われ、式三番、神能は祭礼後の法楽(ほうらく)としてつくられたもので、御座替神事の翌日に行われます。神能は、慶長のころ、当社の幣主祝(へいぬしはふり)宮川兵部少輔秀行が、京都で能楽の所作を学んで帰り、つくりあげたと伝えています。

七座の方は、それ以前に発生したといわれています。

ともに、藩政時代には佐太神社の触下(ふれした)三郡半、つまり、島根、秋鹿、楯縫の3郡と意宇郡西部の神主、巫女の奉仕によって行うのがならわしでありましたが、明治維新になり、近世以来の触下制度がなくなり、また神職の演舞禁止令で、従来の神職による奉仕ができなくなって、氏子の手に移され継承されたのです。そして、神能とのみ呼ばれていたのが、佐陀神能の名称がつけられ、七座、式三番、神能の3部構成が形づくられました。

3部のうち、神能はその構成が、シテ、ワキ、ツレ、トモの役立ちになり、詞の間を地謡(じうた)でつなぎ、囃子として笛、小鼓、大鼓(おおつずみ)、太鼓を主として、全くの能方式をとっており、全国どこにもない、この地独特のものであることから出雲神楽の源流といわれています。

佐陀神能は年を経るに従って興隆し、その知名度も高まり、昭和51年(1976)5月には国の重要無形民俗文化財の指定をうけました。
また、平成23年11月にユネスコの無形文化遺産として登録されました。

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