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出雲国庁跡

意宇(いう)川の左岸、意宇(いう)平野の中はど南寄りにある出雲国総社六所神社のあたりが、奈良、平安時代に出雲国庁のあった場所である。その付近一帯の条里制の名残りをとどめる水田が国府市街でもあったところである。

出雲国は令の規定で上国に属し、9郡からなっていた。『出雲国風土記』には出雲国庁と意宇郡家(おうぐうけ)、意宇軍団、黒田駅(くろだのうまや)の四つの役所が同じところにあったという。

昭和43年(1968)から3年がかりの調査によって確かめられた遺構をもとにして、復元整備したのが今みられる出雲国庁である。溝によって区画された大規模な掘立柱建物は、出雲国の政治の中心地としての建物跡をしのぶことができる。調査によって出土した遺物には、桂根、須恵器などの食器類、硯(すずり)、木簡(もっかん)、墨書のある土器、玉作に用いた砥石(といし)、メノウ原石、屋根にふかれた瓦、和銅開宝などの貨幣もあった。

出雲国に国司として赴任した人には万葉の歌人門部王(かどべのおおきみ)や聖武天皇に寵愛された石川年足(いしかわとしたり)などがいた。国指定史跡。

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