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大久保石見守の墓

大森の代官所跡から銀山川に沿って10分ほど歩き、川を渡って左手の竹藪を分け入った大安寺跡に、初代大森銀山奉行大久保長安の墓碑がある。

長安は慶長6年(1601)この地に着任し、銀山領の検地をはじめ道路、町並みの整備を進め、間歩(まぶ)(坑道)の発掘により銀の生産高を飛躍的に増加させた。大久保間歩は銀山最大規模の坑道。また配下にあった山師安原伝兵衛発掘の釜屋間歩は、年間3,600貫を上納したといわれる。長安は後に佐渡、伊豆など全国の金銀山総奉行となり、武州滝山3万石に封じられた。慶長18年(1613)駿河で病死したが、家康は長安に不正があったとして葬儀を中止し、 7人の子を死罪とし、財産をことごとく没収した。

寛政6年(1794)、事績を顕彰して紀功碑と五輪墓が菩提寺である大森町大安寺に建てられた。大安寺は現在建物は残っていない。

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