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仏谷寺

山陰最古の木像仏が眠る、山陰第二の古刹

美保神社の鳥居から狭い青石畳の通りを進むと、浄土宗竜海山仏谷寺への道を示す石柱があります。石柱を左へ折れると山門が見えます。『雲陽誌』に、「此寺家に古三明院(いにしえさんみょういん)といふありけり、所の者とも是を伽藍といひつたへり」と述べられているように、当寺はもとは真言宗三明院という古刹でありましたが、中世後期に一度退転したものを、天正年間(1573~1592)願阿順慶上人が浄土宗仏谷寺として再興したものです。門を入った右手の大日堂(だいにちどう)には、5体の仏像(重文)が安置されています。薬師如来坐像を真中に、聖観音立像3体と、菩薩形立像1体が並んでいます。いずれも平安初期の一木彫で、出雲様式といわれる素朴でダイナミックな地方色豊かな仏像です。これだけの重文仏像群が、地方の小寺院に現存するのは注目すべきですが、このことは、仏谷寺の前身が相当大規模な寺院であったことを物語っています。

三明院は隠岐へ流された2人の天皇の風待ちの御座所にもなりました。承久3年(1221)7月27日、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は、出雲大浜湊(美保関)に着かれ、しばらく逗留されましたが、そのときの宿が三明院だと伝えられています。上皇は美保関で都へ引き返す者に托して、寵姫修明門院に一首の和歌を贈られました。

それから約100年後、元弘2年(1332)3月、後醍醐天皇もまた討幕に失敗して隠岐配流となりました。「かくて御旅の日数十命日を経て、御船出雲国三尾ノ浦に着きたまふ。当津に仮にありける古き御堂を一夜の皇居とす」(『梅松論』)とある古き御堂は三明院のことだといいます。現在の本堂は新しく、往時をしのぶよすがもありません。

八百屋お七の冥福を祈って巡礼に出た吉三が、この寺で死んだと伝えられ、門の内側わきに、吉三地蔵があります。

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