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旧津和野藩家老多胡家表門・番所土塀

養老館跡の道路をはさんだ向こう側に、重厚でいかめしい門があります。津和野藩の筆頭家老をつとめた多胡家の表門です。幕末の安政年間(1854~1860)に建造されたものです。桁行5.5mの棟門で左右に番所を付設しています。土塀は表門から北に約24m、南に約12mほどあって、石積みの基礎の上に漆喰(しっくい)の壁でつくられています。太い竪格子(たてごうし)の窓や古い土塀は、簡素であるが武家屋敷らしい威厳に富んでいます。

多胡氏は筆頭家老として代々藩の政治を実質的に担ってきましたが、なかでも天和から元禄にかけての真益(さねます)、真武(さねたけ)兄弟(ともに通称主水:もんど)は殖産興業を強力に推進したことで知られています。開墾、干拓、造林に力をつくし、製紙、製茶の奨励につとめました。末弟の外記真蔭(げきさねかげ)は江戸家老として、浅野事件の前年藩主の危機を救ったといわれ、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の加古川本蔵のモデルとされます。幕末の真祇(さねやす)は、号を逸斎と称し谷文晁、桜間青崖に文人画を学び、波辺華山、高野長英と親交があったことで知られています。昭和52年(1977)県指定の文化財となりました。

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